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カテゴリ:エッセイ「人間50年その後…」
エッセイ「人間50年、その後…」⑰
「衝撃的なこと」 先ほど唯一お気に入りブログにある「りぃー子’s SCRAP BOOK」で”実は母が突然末期がんと・・・”という書き込みがあり、あ然としてしまった。 90歳ということで、本人に告知するか否か、悩んでおられるようだ。 昔、四半世紀ほど前、私が三十路を越えた頃、11月だったかな、母より突然電話があった。 聞くと、父が癌であるとのこと。 肝臓がん… 大酒のみの父は60歳で定年退職して、自動車学校に通ってようやく自動車免許を取得し、農作業に励んでいたようである。 その頃、しばしば腹痛を漏らしていたようだが、秋の稲刈りも終え、ようやく医者にかかったところ癌だと判明した。 判明したが…余命もそれほどないとのことですぐにでも一度、帰れとのこと。 父には「こちらに出張があったから顔を見に来た」という話にした。 病室で父にあったのかどうかの記憶はない。 ただやはり病院に行ったのだろう。 母と子供たち兄妹がそろって医者の説明を聞いた記憶がある。 当時でも告知をしている場合もあったように思うけれど、まだまだ本人には伏せておくのが一般的だったようで、父も回復の見込みなく、余命もわずかということで告知しないことになった。 その頃、私は売れない役者というか俳優の卵というかアルバイトとエキストラで生活していた(と思う) お正月には帰省し、一時帰宅していた父と新年を祝った。しかし、話した記憶はない。下腹が痛そうで終始さすっていたような気がする。 お正月を終えた私は毎年オペラ「椿姫」に助演で舞台に乗っていた。オペラの助演は歌はなくエキストラとしてグラスを配ったり扉を開けたりしたのだ。成人式が本番だったので、その稽古に通ったのだが、東京に戻って二、三日後、昼の仕事先に電話があったように思う。 「おとうちゃん、なくなった。早く帰ってき」 昼の仕事場に休みをもらい、歌劇団にも連絡した。本番前の通し稽古は休み、ゲネプロから復帰する予定となった。 実家に戻り通夜と葬式を終えて、ゲネプロの舞台に駆け込む。 どのようにして本番の三日間を過ごしたのだろう。大きなミスはしなかったと思う。 りぃー子さんのブログを見て、ふとよみがえった記憶でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.02 22:14:57
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