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テーマ:読書(8516)
カテゴリ:読書
宮下奈都のエッセイ集。 あちらこちらに書き連ねたエッセイの中から、子どもたちのことを書いたエッセイのまとめを後半に集めて、それまでの、また同時期に書いたエッセイを選び本とした。 子どもたちのことを書き綴ったエッセイは3人兄弟の真ん中、次男が高校を卒業し家を出ていくときに筆をおいた。三人兄弟を綴ってきたエッセイで末っ子の娘一人だけを書くようになってはと懸念したゆえ。 宮下奈都の本との出会いは駅の本屋であった。駅西側にある大き目の本屋の小さめの本屋が逆サイド東側にあった。店玄関の平置き台が二か所、中に一つ目立つ本棚の奥に壁一面と島で4っつほどの本棚がある規模。ところせましと各出版社の文庫がちょっとずつひしめき合いながら並んでいた中で、何か読める本はないかと探していた。POPがあったかどうか、下手な横好きながら歌が大好きな私が惹かれて手に取ったのは「よろこびの歌」だった気がする。高校生の主人公たちが歌に活気満ち溢れる喜びがとても素敵で感動したと覚えている。その後、宮下作品と出会いがないままだったけれど、「よろこびの歌」の続編となる「終わらない歌」で就職に翻弄される歌の世界で生きたい女性の物語にこれまた感動した。おぼろげな記憶だけで書いているので本の題名も本の内容も確かである自信はない。 日々の暮らしの中で感じる女性たちの心の揺らぎ、迷い、希望といったものを書いていて、私の心にとても訴えかけるものがあり、共鳴・共感していたと思う。宮下作品に興味を持ったおかげで出たばかりの「羊と鋼の森」を読み、この本が人気を呼び、本屋大賞を受賞したことは存外の喜びであった。ブームは熱をよび、映画化された。ただ、残念ながら映画は成功せず、注目は浴びたもののヒット作品とはならなかった。映画を鑑賞した時、原作と味わいと内容が違って見えたのはキャスティングミスのように思えた。主人公に山﨑賢人ではない気がしたし、姉妹の上白石萌音・上白石萌歌にも違和感を感じた。ただ「緑の庭で寝ころんで」を読み、映画製作現場見学について書かれている箇所があり、主人公を演じた山﨑賢人が努力していたことを知れた。結果が伴わなくて残念である。 最近、宮下作品が読みたくなって「誰かが足りない」「つぼみ」「静かな雨」を読み、エッセイにも手を出し「ワンさぶ子の怠惰な冒険」「とりあえずウミガメのスープを仕込もう。」を読んで、この本「緑の庭で寝ころんで」を知り、読んだ。この本を手に取った時は驚いた。エッセイ本でありながらあまりに分厚い、圧巻である。文字通りの圧巻。427ページもある。「ワンさぶ子の怠惰な冒険」が277ページ、「とりあえずウミガメのスープを仕込もう。」が268ページであるので、倍近い分量である。 宮下作品の良さは日常が描かれていることである。事件や事故ということはほぼ起こらない。そして日常の出来事に対する登場人物たちの心模様を掬い取るように描いている。力説はしない。あたかも淡々と描いていいるようであるけれど、激情にかられる思いも願いもあり、読んでいるこちらが感動のあまり涙にむせぶということもある。寄り添いたいと思える作家である。知名度も人気もないところが良く思えた。従来であれば知る人ぞ知る作家であり、そこそこの作家であったろう。けれど、本屋大賞というものが出来、その中で取り上げられ、ついには「羊と鋼の森」で本屋大賞を受賞するというだれも予測できなかった衆知の場に引っ張り出され誰もが知る作家となった。素晴らしい。 その宮下奈都が書き連ねた、書き続けた、書き溜めたエッセイをまとめて一冊の本にした。子供たちは巣立ってしまった。 今後、彼女は何を書くのであろうか。 そういえばこの本の中で書かれているが、彼女は自身の本を子供たちに読ませない。子供たちに読まれるとなると何を書いていいのか、書きたいことが思うままに書けないということで彼女の著書の読書を禁止しているということである。母がどういう本を書き、それによって本屋大賞を受賞したということ、その中身を知れないということは子供としては嫌なというか隔靴掻痒な感じがするけれど、宮下が読まれることはエッチな映画を子供と鑑賞するような気まずい気づまりな感じがするのだろう。子供たちに自身の著書の読書禁止をすることで思う存分彼女が本を書けるなら、彼女の本を読める私は喜ぶほかはない。 彼女の新作が楽しみである。
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最終更新日
2023.11.26 19:18:13
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