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その名を知ってはいたが、どのような容貌の人かは知らなかった。 映画を見始めて世界的二枚目スターだと知り、そのあまりの男前さに愕然とした。 若い頃の彼は全世界の女性を虜にする美男子だったのだろう。 私が知った時は40代、中年男性として美貌は下り坂だった。それでもまだ、イケメンであった。 ちょうど榊原郁恵が「アル・パチーノ+アラン・ドロン<あなた」を歌ってヒットしていた。 アル・パシーノはイタリア系アメリカ人で1940年4月生まれの今年84歳存命。 アラン・ドロンはフランス人で1935年11月生まれの88歳にて逝去。 ちなみにアメリカで二枚目として評判だったのはロバート・レッドフォード。1936年8月生まれの88歳存命。 アラン・ドロンの代表作のおすすめとして三作あげる。 まずはアラン・ドロンを一躍世界スターにした「太陽がいっぱい」(1960年)三角関係の美女マリー・ラフォレは人気者に。モーリス・ロネも大スターとなった。ニーノ・ロータの主題曲は有名で哀愁を帯びた曲調が夕焼け染まる太陽にぴったりであった。 (テレビ鑑賞のみ) (C)1960 STUDIOCANAL - Titanus S.P.A all rights reserved 次に「冒険者たち」(1967年)これも男女の三角関係。一攫千金の宝探しの船旅に若者二人と年配者の三人組で出航。当然、若者(アラン・ドロン)は美女(ヨハンナ・シムカス)と恋仲になれると思い込んでいたが美女はブサメン(リノ・ヴァンチェラ)に恋していた。ブサメンは恋と友情の板挟みに。宝物強奪に来た奴らとの銃撃戦がクライマックス。結末は衝撃であった。イチオシかも。 一時期、リノ・ヴァンチェラが大好きだった。 (テレビ・名画座・配信にて三度鑑賞) 三本目は「ボルサリーノ」(1970年)ボルサリーノとはソフト帽で有名なイタリアの老舗。映画はそのボルサリーノを小粋に被る男たちの物語。アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドのフランス二大スターの初の共演で大ヒット。「ボルサリーノ2」という続編までできた傑作。 (テレビ鑑賞のみ) (C)1970 Marianne Productions – Adel Productions – Mars produzione 他にも「地下室のメロディー」「山猫」「さらば友よ」「栗色のマッドレー」「レッド・サン」「暗黒街のふたり」「個人生活」「愛人関係」など名作はいくつもあるがジャン=ポール・ベルモンドとの再共演で話題となった「ハーフ・ア・チャンス」(1998年)は娘役にヴァネッサ・パラディをむかえてヒットした。このあとも作品はあるようだが、世間的にはこれが最後の映画作品といえよう。「ハーフ・ア・チャンス」は映画館鑑賞にて、楽しめた作品。 “ペペ・ル・モコ”こと「望郷」で名を馳せたフランスを代表する大スターであったジャン・ギャバンの後継者として名指しされたアラン・ドロン。彼の後継者としてフランスを代表するスターはいるのだろうか。 アラン・ドロンのご冥福をお祈りいたします。
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最終更新日
2024.08.22 22:19:31
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