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大火で江戸城金蔵が焼け、
災害復興資金を大阪と駿府から江戸に運ぶことになった。 駿府の金蔵は、由比正雪が狙ったもの。 前橋藩主酒井雅楽頭忠清は、 巨額の復興費に、幕府の金庫が乏しくなると意見した。 保科正之は、 幕府金庫は、このような場合に下の者にほどこす為のものと主張した。 「吝き雅楽、こころずくしの豊後殿 江戸にはツンと伊豆がよかろう」 と狂歌。雅楽は、酒井雅楽頭のこと、豊後は阿部豊後守、 伊豆は、知恵伊豆と言われた松平伊豆守のことである。 天守閣の中から大火で溶けた金塊。 加賀藩主前田綱紀、江戸城再建工事を連日監督。 宇和島藩伊達宗利に江戸城再建工事命令。 宇和島藩十万石が、 加賀藩百万石とならんで江戸城再建を命じられたのは。 むろん、仙台藩六十ニ万石を含めてのこと。 仙台藩主伊達綱宗が、 伊達一門の棟梁として力量不足ということでもある。 ほら、関が原の時、百万石のお墨付き、あげたでしょ・・・ってば。 非常時、仙台、宇和島の伊達一門を指揮するのは、伊達宗勝。 幕府との政治交渉は、 嗣子綱宗の代理として保科正之老中と親交のあった原田甲斐宗輔。 保科正之との、久喜鷹場所安堵の政治交渉は、 政宗ゆずりの鷹狩の名手である原田甲斐の仕事である。 それが、一瞬にして壊れた。 保科正之の側室、藤木万が生んだ 若殿、保科正頼が、大火の後病死し、 同腹の弟の正経が嗣子となった。 上杉景勝が、豊臣秀吉の命で、 会津藩百二十万石を拝領したのは、関が原戦の二年前、 慶長三年のことである。 その時、上杉景勝の重臣直江兼続が、 米沢城六万石の城代となった。 上杉家は、関が原で、 会津藩百二十万石を没収され、 米沢藩三十万石に移ることになった。 豊臣方武将のように廃絶とならなかったのは、 上杉謙信いらいの名門だからである。 米沢城代、直江兼続の存在もあった。 武田軍団からなる会津藩から見れば、 百二十万石から三十万に縮められ 経済難に陥っている米沢藩への嫁入りは有難いものではなかった。 豊臣、徳川への政権交代で上杉家を守りぬいてきた 名将直江兼続が亡くなったのは、徳川家康没の二年後。 家臣団は、戦後不況の激しい荒波に投げだされた。 保科正之の側室の一人、お志保の方は、京都生まれ、 伏見生まれの津多を母にもつ原田甲斐は、 会津藩の側室たちに人気がある。 志保の方が、保科正之の子を身ごもった時、 悋気激しい藤木万から志保の方を遠ざけるため、 江戸から会津城へと移す相談に乗ったのも原田甲斐である。 気性の激しい母をもつ原田甲斐ならでは・・のこと・かも。 会津の厳しい冬が辛かったとみえ、 志保の方は、二番目の姫、松姫を生んでから 腎臓病をわずらい、看病のかいなく亡くなった。 その昔、秀吉の小田原攻めに際し、 実母最上義姫による伊達政宗毒膳事件がおきた その、会津城西の丸である。 男たちは、「女は魔物ってことだっちゃ・・」のひとこと。 女たちの、ささいな出来事が、やがて、 会津藩の存亡にかかわる大事に発展しようとは・・・・。 藤木万について会津藩三田屋敷に仕え、 藤木万と志保の方の対立で、 華やかな江戸の暮らしを捨て、 雪深い会津で暮らすようになった京女たちの不満は、 深まることはあっても、 けっして消えることはなかった。 津多は、 淀君に命を狙われた、お種でさえ、 高清水から仙台城下に移りたいと政宗に 手紙をしたためたほどだもの。 戦後生まれの京女である志保の方が、 豪雪の会津城で、どんなにか寂しい思いをしたことでしょう。 藤木万の悋気を承知で、 会津中将も、酷なことを。 男たちは、女の悲しみが解らぬのぉ。 男たちは、女にも、悩み悲しむ心というものがあることを、 知らねばなりません・・と熱弁。 まぁ、他藩のことですから・・・と、原田甲斐。 松姫つきの侍女である野村きさは、藤木万が、 志保の方の腎臓病の治療にあたっていた医師を取替えさせた事で、 藤木万による毒殺さえもを疑った。 藤木万は、否定しつづけたが、 野村きさたちの、憎しみと不信とは、 容易に薄れなかった。 将軍後見保科正之の女としての、 藤木万の、 江戸での豪奢な暮らし。 会津城西の丸で、 寂しく死んだ志保の方のことを 不憫に思った保科正之は、 国元の家老たちの進言を受け入れ、 加賀藩主前田綱紀に、お志保の方が生んだ 会津育ちの松姫を 嫁がせることにきめた。 「なんですって、加賀百万石ですってぇ。キー、悔しいぃぃぃーっ。」 国元の家老たちが婚礼の仕度を整え会津を離れた、 婚礼行列は、新築まもない会津藩三田屋敷に着いた。 上杉家に嫁いだ媛姫も、異母妹の婚礼祝いに招かれた。 女たちの対決。 媛姫と、松姫が席についた。 祝いの膳が、運ばれてきた。 松姫付きの侍女、野村きさが、松姫の膳を受け取り、 「お姉上さまの、媛姫様に、先に・・。」 松姫の膳が、媛姫の前に、置かれた。 媛姫は、取り替えられた妹の膳を食べた。 毒が盛られていた。 媛姫付きの侍女三好ら十八人が死罪となり、 毒殺を企てた藤木万は、幽閉された。 保科正之は、箕田邸を拝領し、 三田屋敷を出た。 伊達綱宗と三沢初子の間に、 男子が誕生した。 久喜御鷹場安堵の報を待つ重臣たち。 涌谷城主伊達安芸は、とても華奢で仕えかねると、 激しく言いはなって席を立った。 鷹を、こわがる綱宗。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年12月23日 22時54分39秒
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