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和賀義祐、後見人の伊達宗勝を通じて、
再度、仕官願いを出すが却下される。 保科正之の正室、 亡くなった菊姫の実家である岩城藩内藤家。 保科正之の 義理の甥である内藤義概は、 風虎の号で知られる俳人で、 西山宗因を招き、 江戸藩邸に俳人サロンを開き、 関東の俳諧の開祖となった。 振り袖火事の時、 津多と忠次郎とともに 多摩での非難生活を送った 松尾宗房は、 若殿の藤堂良忠が亡くなった為、 江戸に出た。 「雲へだつ友かや雁の生き別れ」 松尾宗房は、 内藤風虎の磐城藩邸 俳人サロンに出入りするようになった。 万物が春に生じ、夏に長じるは、仁愛の働きにあり、 秋に実りを収め、冬に蓄蔵するは義にあたる。 多摩での被災生活いらい、 すっかり心境の変化の津多。 八千石取りの家老でありながら、 多額の借財覚悟で久喜鷹場返還早期実現に 奔走してきた 息子の原田甲斐宗輔。 会津藩三田屋敷での毒膳事件がおきてから、 手におえない猛母と思ってきた母の津多が、 可愛い女性に 思えてきた。 どうやら、 忠次郎との多摩での生活が、 彼女を変えたらしい。 それにしても、 実母の犯した罪によって、 若い命をたった媛姫が、 哀れでならない。 孫の藤子の愛らしい姿を眺めながら、 原田甲斐宗輔は、 そんな事を思う。 伊達綱宗の 従兄弟である後西天皇が譲位。 在位はわずか十年であった。 幕府は、 在位中に起きた天災地変を、 すべて、天皇の所作となすりつけた。 原田甲斐、 伊達政宗の三十三回忌に、 甥の梁川宗頼の 御家再興を願いでる。 梁川家再興は認められたが、 旧領地の米谷への復帰は、ならなかった。 そんな中、 米谷付近に浪人生活をおくる梁川家浪人たちは、 梁川家の宗家である寺池城と、 涌谷城との境界線紛争にまきこまれはじめた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年12月24日 19時08分50秒
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