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寺池城と涌谷城の境界線紛争は、
仙台藩を二分する紛争へと発展した。 保科政治の崩壊とともに、 仙台藩後見人政治も、ねじれ国会に。 伊達宗勝派に対して、 保科政治に歩調をあわせ 久喜鷹場所安堵をめざして綱宗を隠居させた事を逆手にとられ、 藩主幼少を理由に久喜鷹場を没収されたことへの責任問題。 そもそも、誰れのせいで、 こんなことに、なったのかなー。 諸侯が、公家の姫を、 正室や側室にすることを禁じた幕府の掟に反して、 櫛笥貝姫を側室にした忠宗さまが悪い。 いや、公家の姫だと知らなかったのさ。 ウソー。 青い目の側室よりは、いいじゃん。 江戸へ江戸へと、 人も金も流れて行く。 戦国時代、 食うや食わずの生活を続けてきた貧乏公家は、 紫衣事件がおこると、 これからは、朝廷が幕府に養われる時代になったと、 さっさと近畿を離れ、 江戸へ仙台へ、 もう東下りじゃなくて、 東上りです。 津多の祖父、伏見の高田一族など、 鋳物師、絵師、医者、占い師にいたるまで 近畿の職人集団を仙台城下に招きいれたんです。 そんな中に、 公家の姫を養女にして、 仙台城下に薬屋を開業した者がおりまして。 その養女っていうのが、 綱宗さまの生母、 櫛笥貝姫でした・・。 それを知ってて、 見て見ぬふりは、 伏見から来た高田様でしょう。 綱宗隠居から、 仙台藩後見人政治には、 幕府の仙台目付けが置かれた。 米谷城の奥にある隠れキリシタンの 里も、発覚してしまった。 清国は、 首都北京で 康熙帝の親政がはじまり、 カトリック宣教師の布教が禁止された。 日本に亡命の明国僧 朱舜水を招いた水戸光圀が、 隠居中の伊達綱宗に諫言状。 「たとえ隠居の身でも、 女中や下男に酷い行いをすると、 ただでは、すみませんよ。 お控えなさい。」 筆跡が光圀のものではないと、 伊達宗勝による策謀と疑った綱宗、 水戸に使者をたてた。 水戸光圀 「年のせいで、 目が見えないので代筆させたんじゃ、 邪推も、たいがいにせい。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年12月24日 19時16分17秒
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