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歴女の館 夢うさぎ塾・三館

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2008年12月24日
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「江戸に留学にきていた松尾宗房少年のことを、覚えていますか。」

忠次郎が、語りかけた。

津多は、眼下に広がる松島湾を眺めながら、うなづき、
多摩での非難生活を思いだして頬を染めた。

「総領息子は家を継ぎますが、二男三男の冷や飯喰いは、江戸をめざします。
 江戸には、喰いつめ浪人ばかりでなく、青雲の志高い若者も集まります。
 地方では、その土地の領主に召しかかえられるしか出世の道はなく
 親の身分を越えて仕官するのは難しいのですが、諸侯の江戸屋敷が
 軒をならべる江戸なら実力次第ですから。」

 公儀罪人として奥州に落ちのびた忠次郎には、
 求めても得られなかった団塊ジュニァたちの青春である。

「会津藩の家臣に、伊南与八郎という軍学者がおりましてね。
 会津藩は、保科正之さまの失明隠居で若殿の正経さまが藩主となられ
 藤木一派がしきるようになりました。」

「まだ、二歳の正容さまを擁する家老たちと藤木一派の対決が、
 激しくなっていると、宗輔が言っておりました。」

「宗輔さまは、確か、藤木万と同じ年・・。」

「ええ、あの事件が起きるまでは、
 三田屋敷に伺うことが頻繁でしたから、
 宗輔は、事件が起きて、
 とても落ち込んでおりました。
 媛姫さまが、
 お母上に、罪を犯させないように、
 毒膳と知っていて
 食べられたのだろうと
 そんな事も、申しておりました・・。」

 津多は、しばらく沈黙してから 

「父政宗が亡くなってからで・よかったと思ってます。」

 忠次郎は、昔のことを思い出しながら、
 津多の肩を強く抱きしめた。


「伊南与八郎は、正経さま付家老で、
 実川に流罪となった成瀬重次を、
 裏であやつっているのは、
 保科政治を崩そうと画策する
 酒井雅楽頭忠清に違いないから、
 自分は、大殿からお暇をいただいて
 軍学を極めるため、
 上方に出ようと思っていると、
 そう申しておりました。」

「会津中将保科正之様は、
 徳川親藩とは言いながら、
 高遠譜代は武田軍団、
 人は石垣人は城。
 殿様が、失明隠居
 なされたからといって
 そうやすやすと、
 藤木一派に屈することは、
 ありませんでしょう。
 老中、稲葉正則さまも、
 ついておいでですし。」

 保科正之の成瀬一派討伐を支持したのは、
 春日局の孫老中稲葉正則で、
 忠次郎には、従兄弟の子にあたる。

 雲が風に流されて消え、
 松島湾に月光が降りそそいだ。
 忠次郎は、月見御殿の縁に出て
 元親記を、懐から取り出した。

「盛親さまは、家督争いで幽閉されていた
 兄の津野親忠さまが、
 親しくしていた藤堂高虎さまを通じて
 土佐半国を拝領する条件で徳川方につく
 約束をしたという噂を聞いて、
 家臣をさしむけ殺害してしまいました。
 噂の真偽のほどを確かめず・・。」

 津多が、手渡された元親記を開いた。

「津野親忠さまは、幼い頃、
 織田信長さまの人質であった方、
 徳川家康さまも、幼い頃、
 人質として今川家にむかう途中、
 織田家に奪われて、
 織田家の人質として育った御方で
 すから、津野親忠さまに情があった。」

 家康は、実兄を殺して豊臣方につき、
 徳川譜代鳥居内藤が死守篭城する伏見城を猛攻した
 盛親を、長宗我部元親の子とは思えぬ不義者と怒り、
 土佐国を没収し掛川城主の山内一豊に与えたが、
 命だけは助けた。

「大阪陣のとき、盛親が、
 ふたたび豊臣方につくという噂が流れました。」

 春日局を家光の乳母に斡旋した
 京都所司代板倉勝重が、
 相国寺の盛親の屋敷に、
 ことの真偽 をただしに
 向かうことになった。
 春日局は、盛親が、
 徳川方につくよう祈っていると伝言を託した。

 大阪城には、阿古姫、
 忠次郎母子が人質となっていた。

「盛親さまは、板倉さまに、
 この度は、徳川方について微禄を得たいと
 願っていると述べ、
 すっかり信用した板倉さまが、
 人質をとって警戒を解いた隙に、
 大阪城に入城しました。」

 津多は、幼い忠次郎を、
 仙台に迎えた時のことを、
 思い出しながら、
 忠次郎を、見つめた。

「私の命は、いわば、
 板倉さまからの預かりもの。
 伊達安芸さまが、
 江戸に出て直訴なされば、
 板倉さまの邸で
 評定ということになりましょう。
 亡母は、大恩ある伊達家に、
 恩を仇で返すことのないよう、
 身を低くして生きよと遺言しました。」
  
 忠次郎が、津多をみつめた。

「しかし、政宗さまとともに、
 太平洋に描く、
 津多さまの夢は、あまりにも大きく、
 津多さまを、この手に
 抱こうと願う私は、
 亡母の遺言に背いてしまいました。
 流人の身であっても、
 王者の血を忘れてはならないと、
 大阪城で失った私の命を蘇生させた津多さまに
 この命を、捧げたのです。」

 忠次郎は、月光に照らされた
 月見御殿の柱を、手の平で抑えた。

「人は、争って、命を落としますが、
 木は、
 火にあわなければ、
 何百年でも残るものです。」


 津多は、月見御殿の柱にふれた、
 忠次郎の手に、
 我が手を重ねながら、
 忠次郎との 
 永遠の別れを予感した。

 忠次郎、
 仙台藩家老柴田外記朝意が、
 江戸に着いたのは、
 寛文十一年
 一月二十五日のことである・・。





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最終更新日  2008年12月24日 20時02分47秒



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