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歴女の館 夢うさぎ塾・三館

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2008年12月25日
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酒井邸から幕府への報告は、

伊達安芸と原田甲斐が喧嘩をして
両方とも死んでしまいました
・・という、
簡単なものだった。

急を告げる早馬が、
夜の闇を、
仙台へ、仙台へと、
駆けた。

伊達安芸の直訴は
江戸庶民の話題をさらっていたので
事件当日から、
酒井邸に詰め掛けていた文屋が、
面白おかしく
事件の顛末を書きたてた。

かろうじて、生きのびた
古内志摩は、
宇和島藩邸に入ったきり、姿を見せなかった。

柴田外記朝意、
忠次郎は、
深手をおったが、
危篤状態で
三月二十八日の
夜明けを迎えた・・・。

その、同じ夜明けを、
船岡城の津多は
胸の上に、重いものを載せたような
息苦しさで、目覚めた。

「・・・・。」
無言の忠次郎が、枕元に、立った。

事件後、

亘理伊達家にお預かりとなった津多は、
息子の無実を主張して食を断った。

遠のく意識のなかに
サンファンバウティスタ号の
展帆の、掛け声が聞こえた。

七月ニ十九日 
津多は、
波乱に満ちた生涯を終えた。

遺体は、
太平洋を遠望する
小高い山の頂上に埋葬された。


十一月十七日 
猪苗代湖を望む磐梯山の裾野に、
葬地を決めた保科正之に
土津の御霊号がさだめられた。

翌年正月   
正容が、無事三歳の誕生日を迎えた。

一月十五日  
会津藩ニ代藩主正経が、
若松、塩川で鷹狩を行った。

四月十五日  
成瀬重次一派の
驕心を訴えた家老友松氏興、
保科正之より
辞職願を却下される。

四月十七日  
田村宗良、閉門を解かれる

六月     
城代家老の田中正玄、急死。

八月     
正経、会津から江戸へ

十ニ月    
保科正之の娘婿である稲葉正通、
泊まりがけの看病。
保科正之、
藤木万と正経とを
枕元に呼び、
メンドリが時を告げれば世が滅ぶの
たとえを延べ、
藤木万が、二度と
政治に口出しすることのないように、
遺言した。

十ニ月    
家老友松氏興に、
成瀬重次一派の処刑を遺言し、
正経は、病弱なので、
正経にもしもの
ことが、あった場合、
正容を次期藩主とするように
命じた。  

十二月十八日 
保科正之が没した。


   





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最終更新日  2008年12月25日 20時39分23秒



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