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歴女の館 夢うさぎ塾・三館

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2008年12月26日
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松尾宗房は、
磐城藩内藤家江戸屋敷の
俳人サロンで、
事件発生を知った。


内藤家江戸屋敷では、
隠居の前藩主内藤忠興が、
青ざめた表情で、
保科正之の弔問から帰った。

ただならぬ空気が、江戸藩邸を包んだ。

家臣たちは、口をつぐんだままだが、
内藤家に奉公する女たちは、
目の玉を、ギョロギョロさせて
内藤家から輿入れし夭折した
保科正之の正室菊姫のことを
ひそひそと、語りあった。

山形城時代
正室菊姫が、幼い若殿を残し亡くなった後、
朝廷にあがった徳川家光の妹、
東福門院和子姫の侍女であった
賀茂神社宮司の娘
藤木万が、
側室というより
後妻のように三田屋敷に入ったこと。

母親菊姫のあとを追うように、
若殿が亡くなった時、
藤木万が
天下でもとったように、
京都から、大勢の
女たちを呼びよせたこと。


その時以来、
当家の隠居、内藤忠興様は、
保科邸を訪れることが
なかったこと。

「保科正之さまは、藤木万の悋気が
内藤忠興様にまで及ぶことを恐れていたのよ」

「藤木万は、
天皇が行幸する京都賀茂神社の娘であることを
ハナにかけてねぇ、」

「保科正之様の御生母が、
家臣筋の娘であることを低く見て、
正室菊姫も、実家が
徳川家康の家臣であることを
低くみてねぇ・・。」

「男子を生んでからは、
夫を隠居させて
実権を握ることば
かり考えるようになったのよ」

京都生まれの侍女志保が、
保科正之の子を身ごもったので、
会津に追い出したこと。

志保は、雪深い会津の慣れない暮らしで、
二人目の娘、松姫を生んだ後、
亡くなったこと。
この時も
松姫つきの侍女であった野村きさは、
藤木万が志保の方の主治医を変えたことで
藤木万による毒殺を疑ったこと。

藤木万が生んだ嗣子が、
明暦の大火後病死して、
三田屋敷も全焼。

加賀前田家に嫁入りが決まった
松姫を妬んで、
毒殺を企んだ藤木万・・。

「さぁ、これから、どうなる・・。」

「保科正之様の遺言で、
家老たちが、藤木一派を退治するかも。」

女たちの話に
松尾宗房、びっくり仰天、

「それじゃあ、
酒井雅楽頭邸での刃傷事件というのは・・。」

「そうです。大きな声では言えませんが、」
「成瀬重次も、伊達宗勝も、原田甲斐も、
すべて、酒井雅楽頭の保科政治崩しの
道具に使われ、口を封じられたに
相違ありませんわよ。」

「酒井雅楽頭は、藤木一派を通じて、
京都勢力と結びつきジワジワと・・
朝廷の力をかりて、
幕府の実権を握ろうとするに違いありません。」


「ともかく、
片腕を斬り落とすようにして
仙台藩六十ニ万石は守られた。
あとは、会津藩が、
存続できるか否か、ですね・・。」

「なんといっても、会津藩譜代武士は、
武田軍団、人は石垣、人は城。」

雪解けの会津。

四月、
会津藩家老友松氏興は、
正経の小姓を説得して、
正経の留守に、秘密の文箱を開けさせ、
ついに
正経の文箱の底に、成瀬一派の
血判状があるのを確認した。

会津藩家老四人の連判によって
稲葉正通に訴え出た。

血判状を動かぬ証拠として、
保科正之の遺言による成瀬重次
らの処罰を断行した。

物頭の車市左衛門が指揮し、
成瀬重次の流刑地である実川にむかった。

流刑先の屋敷のまわりに杭を打つ。

車市左衛門は、成瀬重次に対して
切腹を要求したが、
成瀬重次が拒んだため
斬り殺した。

成瀬一派の残党
御子柴久弥、
原甚左衛門、
狩野久左衛門、
高木孫四郎は、
藤木万の嘆願で助命された。

殿が、
メンドリが時をつげればの例えを述べられ、
藤木万に、政治に口出しすることを禁じられたのに・・、

憤る家臣たち。

成瀬一派処刑を聞いた正経は、
血相を変えたが、
やがて
重臣たちの説得で、
江戸城に登城して酒井雅楽頭に会い
藩内で
多くの処刑者を出した不祥事を、侘びた。

酒井雅楽頭は、
稲葉正則ら
老中たちを睨みつけながら、
「保科公の遺言とあらば、やむを得ないことだ。
会津藩お取り潰しは、まぬがれよう。」
と言った。

藤木万は、
弟で、賀茂神社の神官である藤木織部を、
京都から呼んだ。

持参した京土産を、
正経と正容とに配ろうとする藤木織部。

まだ四歳の正容には、おもちゃの土産。

猫なで声で、正容にも・・と
京菓子を差しだす藤木万。

土産の京菓子を、
殺気だって眺める家臣たち。

藤木一派による、幼君毒殺を、
命がけで守る
一大作戦が開始された。

やがて
稲葉正通の妹仙姫が、
幕府の命令で、
伊達綱村の正室となり、
舅の老中、稲葉正則が、
伊達綱村の政治指南を行うように定められ、
綱宗隠居の時から
仙台藩に置かれていた国目付は、
廃止となった・・・。





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最終更新日  2008年12月26日 11時46分22秒



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