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歴女の館 夢うさぎ塾・三館

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2008年12月26日
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伯父茂庭姓元の嘆願で、母とともに助命された
原田甲斐の孫、藤子、十ニ歳。

原田家家老堀内清長の遺児、
堀内茂助が、
原田甲斐七回忌法要を行った。

殉死した堀内清長が、
息子に残した遺言状に、
無念の涙をながす家臣たち。

「会津では、保科公の遺言に従い、
家老たちが、藤木一派と対決しているそうじゃ。」

内藤家俳人サロンの松尾宗房。
同門の山口信章と、江戸両吟集を刊行。
文壇デビュー。

藤木万は、ふたたび、
成瀬一味の残党四人の釈放を主張した。
保科正之公の遺言によって
正容を保護養育し
スクラムを組む家老たち、
猛然と反発。

「ならぬものはならぬのでございます。」
「何がならぬと申すのじゃ。」
「ですから、メンドリが・・メンドリが、メンドリがぁぁー。」

延宝六年、
伊達宗勝が、
流刑先の土佐で没した。
同年、酒井雅楽頭、二万石のお手盛り加増。

稲葉正通の妹婿である堀田正俊が老中となった。

延宝八年、
江戸城下馬門に屋敷を構え、
下馬将軍の異名をとる酒井雅楽頭、
宮家をついだ挨拶で江戸に上る
有栖川宮幸仁親王の慰労使をつとめる。

慰労使の大役で、
京都思考が強まりつつある酒井政治に
密着する藤木万、
またもや、成瀬一派残党の釈放を主張しはじめた。

藩主の正経も、
さすがに母親の執念深さに嫌気がさして、
この頃では、
側近の者たちにむかって、
三田屋敷に行ったら、
けっして、食事をしてはならない等と、
きつい皮肉を言うようになった。

異腹の弟正容は、まだ九歳。
保科正之に認められ
養育係となった西郷頼母の指導で、
立派に成長した。

藤木万は、なおも、あきらめず、
正容を奉じた西郷頼母に対抗できる者を、
探しはじめた。

藤木万が、目をつけたのは、
西郷頼母の従弟、保科小十郎だった。

西郷頼母は、はじめ、
城代家老の重責にある母方の叔父、
保科正長の養子となって保科近房を名乗ったが、
叔父の死後、側室との間に男子が生まれたので、
生家の西郷家に戻った。
その、側室の子が保科小十郎である。

「われながら、なかなかの妙案じゃ」
「まーた、メンドリが啼いておるようじゃ」

藤木万は、
京都から弟藤木織部の娘を呼びよせ、
すでに三十路を越えた
保科小十郎と結婚させ、
小十郎を元服させて保科正興を名乗らせ、
会津藩の家老職につけた。
更に、
保科織部の息子、
藤木小隼人を京都から呼び、
これも、会津藩の家老職につけた。

そして、息子正経の留守に、
保科正興と藤木隼人の二人の家老に命じて、
成瀬重次残党四人を赦免させてしまった。

まもなく、四代将軍徳川家綱が没した。

酒井雅楽頭忠清は、
鎌倉時代の故事にならい、
五代将軍に有栖川宮幸仁親王を推して、
酒井政治の存続を図ろうとした。

「徳川幕府も、鎌倉幕府と同様に、三代で終わるんじゃ。」

「さては、北条時政になるつもりじやなぁ。」
「それじゃ、藤木万は、尼将軍北条政子かなーっ。」
「会津藩旧藩主で、伊達綱村公乳母の政岡を出した
 葦名氏は三浦党。鎌倉幕府執権北条氏に滅ぼされ、
 頼朝の墓の前で集団自決した三浦一族の末裔じゃわいな。」
「なーに、時代錯誤なこと、言ってんだか。」
「時代錯誤は、そっちだろー。水戸の御老公に、言ってやるー。」
「水戸徳川家は、そっちの御血筋だからねーっ。」
「そっちって、どっち。」
「三浦党、葦名、佐原、そっちの坂東武者だわさ。」

という、舌禍のすえに。

稲葉正通の妹婿である
佐倉藩主堀田正俊と、
保科正之と殉死禁止法に共同した
学者肌の水戸徳川家藩主水戸光圀、
水戸黄門が、
徳川家綱の弟で館林藩主の徳川綱吉
を五代将軍に、推した。


徳川綱吉が五代将軍になると、
酒井雅楽頭は失脚。

会津藩では正経が没し、
保科正之の遺言に従って、
西郷頼母らに保護されてきた正容が
会津藩三代藩主に就任した。

幕府は、
年若い会津藩主に対して、
国政はすべて、
家老の西郷頼母を通じて行うように命じた。

会津藩に国目付けが置かれ、
藤木一派の処分が、矢つぎ早に、行われた。

藤木万を、
新設した隠居所に移し、
政治への関与が出来ないようにし、
ただちに、
赦免されて会津若松城下に暮していた
成瀬重次一派残党の四人に、
国外追放と閉門を命じた。

家老藤木隼人は、謹慎処分となった。

保科正興も閉門、のち流罪となった。

西郷頼母と、
藤木一派の対立は、
幕末まで続くことになる。





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最終更新日  2008年12月26日 13時43分59秒



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