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事件に関与した家臣が献納した
仙台東照宮の石燈籠は、 取り除かれたが、 酒井雅楽頭失脚後、 他の家臣が献納した石燈籠で 補填された。 恋人に会いたいがために放火した 八百屋お七の火事が起きた。 「こんなこともあろうかと、隅田川の畔に住んでいたんじゃ。」 松尾芭蕉、三十九歳、墨田川を潜って逃げた。 師走の風の冷たいこと。 俳人サロンの師匠西山宗因が亡くなったため、 当世人気の作家を横目でながめながら暮らす松尾芭蕉。 振り袖火事の青春の記憶が、 よけいに、 無常感を強めていく。 元禄六年春、 松尾芭蕉、江戸で松島を詠む。 「朝よさを 誰が 松島の 片心」 朝となく夜となく松島のことが気にかかるのは、 誰れか麗しい佳人が、あの松島で待っているからか。 徳川綱吉が発布した、 「生類憐れみの令」で、 すべての鷹場が廃止となった元禄七年春。 原田甲斐の命日である 三月二十七日、 旧伊達久喜御鷹場の玄関口である 春日部宿を出発点として 松尾芭蕉は、 「奥の細道」の旅に出た。 三月二十八日 栃木県間々田 「伊勢参りの帰りに宿泊された間々田で、 伊達家重臣の柴田宗朝どのが急死なされて、 源平の昔から続いた柴田家が絶えるとあんじられた 伊達政宗公が、大阪城落城後、 仙台城に保護されておりました長宗我部元親の孫殿を 養子にいれ、柴田外記朝意を名乗らせたのでございます。」 三月二十九日 栃木県鹿沼 四月一日 日光東照宮に参拝 四月三日から十一日まで、栃木県黒羽の、翠桃宅に宿泊。 十ニ日からは、桃雪宅に宿泊。 四月十九日、那須の湯本をたち、福島県旗宿に、とまる。 四月二十一日、白河の関を越えて、いよいよ奥州路へ。 仙台藩領に入ったのは、五月三日のことである。 雨模様の、白石城下 「三代目の白石城主さまは、松前武田のお血筋でございます。 二代目さまには、男子がおられず、千石城の茂庭家から 養子を迎えられておりましたが、嫡男の茂庭良元様が、 鉄砲の手入れをなさっておいでの時暴発いたしまして 失明なさいましたので、養子先から実家に戻られ 二代目さまの姫様の御子が、松前家から養子に入られたのでございます。」 「蝦夷の松前武田と申せば、本能寺の変で、 明智光秀軍につき、秀吉軍に敗北した若狭国主 武田元明どのの支家ではないか。 仙台藩伊達家の重臣とはいいながら 家臣筋の姫であるものが、蝦夷王と称された 松前武田家に、輿入れとは・・。」 「いいえ、蝦夷に輿入れなさったのではなく、 松前の若殿が江戸に向かう途中、白石城下で 病に倒れられ、姫さまが看病なされた縁にございます。」 「なるほど。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年01月02日 11時46分21秒
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