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歴女の館 夢うさぎ塾・三館

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2009年01月02日
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秦の始皇帝の末裔、
柴田外記朝意「忠次郎」は、
船岡城下の霊廟に祭られ、
三世紀ものあいだ、眠りつづけた。

位牌には、
父、佐竹親栄の、佐竹家の家紋と
母、長宗我部阿古姫の、長宗我部家の家紋
養子先の、柴田家の家紋、

三つの家紋が描かれていた。

明治元年
戊辰の役後、仙台藩は降伏した。
降伏式は、「津多」の墓がある、亘理伊達家で行われた。

駐留した官軍兵士が、信仰の対象である白鳥を捕殺した。
船岡城の柴田家家臣が白鳥を守ろうと発砲した。
事件は、仙台鎮撫使の知るところとなり、
事件に関与した家中は処刑。
柴田家14代当主である、
「忠次郎」の末孫、柴田意広も切腹した。

明治六年
岩倉具視、大久保利通らの明治政府要人が、
ヨーロッパ各地で、
慶長使節団資料を提示されていた頃
日本に残った西郷隆盛は、廃藩置県を断行した。

廃藩置県によって
元来は、秦の始皇帝の政治機構である
「郡県制」が敷かれ
寺池城下に
水沢県庁が設置された。

和魂洋才の富国強兵をめざした日本は、
アメリカによる
広島長崎への原爆投下によって
無条件降伏をした。

その年、
一人の女性が、
敗戦を知ることなく亡くなった。

亘理町の
「津多」の墓近くに
生まれ育った「きよゐ」である。

「きよゐ」が生んだ男子も、
東京空襲で、行方不明となった。

仙台空襲は壮絶をきわめた。

日本列島は、
アメリカ進駐軍の占領下となった。
仙台にも進駐軍が駐留し、
船岡城下にも、
アメリカ軍のキャンプが造られた。

ある日、
キャンプ・ファイアーに
使う薪を求めて
アメリカ進駐軍兵士たちが

「忠次郎」の霊廟を壊した。

やがて、

「きよゐ」の夫である、
作家の「山本周五郎」が、

伊達騒動をテーマとした
「樅の木は残った」の取材で
上野駅を出発した。

モクモクと煙りを吐いて
蒸気機関車は、

白河の関を越え

昔、
松尾芭蕉が旅した
奥州路を、

仙台へ、仙台へと、向かう。

車窓に、
泣くような
風の音が聞こえる。

「忠次郎・・。忠次郎・・。」

昭和四十九年、
今世紀最大の発見といわれる、

秦の始皇帝の「兵馬俑」が、発見された。





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最終更新日  2009年01月05日 19時29分31秒



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