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テーマ:暮らしを楽しむ(387547)
カテゴリ:柳川
柳川史跡めぐり、今回は、熊本県玉名郡長洲町にあるぼたもちさん(誾千代の墓)です。
柳河藩初代藩主の立花宗茂公が、関ヶ原の戦い(慶長5年(1600年))で、西軍に味方し敗れた後、宗茂公は家臣とともに加藤清正公のもとに身をよせます。 宗茂公正室の誾千代姫は、宗茂公とは離れて、肥後領内玉名郡腹赤村に居住していました。 誾千代姫は、慶長7年10月17日に、死去。(享年34) 墓石の形が、ぼたもちに似ていることから、「ぼたもちさん」と呼ばれています。 命日(10月17日)にどうしてもお参りしたくて行ってきました。 国道501号線「沖洲入口」信号を北へ入り、まっすぐ行くと、腹赤小学校の前を通りすぎ、少し行くと、看板があります。 駐車場がないので、少し離れたところに止めて、運転手を残し、徒歩で看板まで戻りました。 看板の脇を通り進むと、説明文があり、参道の突き当りがお墓です。 当日は、数人とお坊さんがいらっしゃって、20分前に法要が行われたそうです。 道に迷っていたのが20分間だったので、後悔しました。 お参りをさせていただいた後に、お話をうかがうと、誾千代の墓は、そこにいらした方々で管理されているとのこと。 (勝手に)柳川市を代表してお礼を言わせていただきました。 すると、管理者の1人は、柳川市から嫁がれたとのことを聞いて、そのご縁にビックリしました。 誾千代の墓が町の人によって守られていることに、より安心感が増しました。 今後とも宜しくお願い致します。 また機会を作って、お参りに行きたいと思います。 熊本県玉名郡長洲町腹赤746 好みや感じ方は人それぞれ、あくまでも私の感想なので、誤解のないように! ポチっとクリックしていただけると励みになります! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年10月26日 23時06分21秒
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