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カテゴリ:文字だけ
「かまってもらうだけええと思わなー」
「そうやでー」 何気ない、一言だったかもしれないし、本気で言ってる可能性もある。しかし、冗談であった場合さえ、その言葉は自分にとって凄く辛い言葉であったし、重みのある言葉は重く心に底の方まで沈みこんだ。 自分はどんな存在なのだろうかと。周りの人は“わざわざ”構ってくれているのだろうかと。そうなると、今まで信用していた人を信じれなくなる。そして、疑いの言葉と気持ちしか表れなくなる。 私はもっと人を信じるべきなのだろうか? 友達に上の質問をしてみた。質問をした彼女は“信用できる友達”の数少ないひとりである。こう返ってきた。「信じた方がええんちゃーう?」 「信じた方がいい」その言葉に私は言い訳のような愚痴しか言えない。昨日まで仲良かったのに次の日には嫌いになってて、また数日したら仲良くなったりする人、嫌いな人と笑いながら談笑をし、その人がいなくなったあと、他の友達と「あいつ、マジうざい!」と笑いながら話をする人。その人たちを信じることは出来ない。じゃあ、他の人なら信じれるのか? 安易な気持ちで人を信じたくない。裏切られたり、自分が信じすぎた時、辛いのは自分なのだから。傷つきたくないと思う私はただ弱い。 しかし、今、傷つけられることで私は変われるかもしれない。 自分に素直に生きても、人は信用できない。 自己分析終了! 明日も元気にがんばろー! 打開できるようにがんばるお\(^ω^)/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月05日 22時38分36秒
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