テーマ:歴史・偉人のあれこれ(10)
カテゴリ:ふるさと自慢
鷹見泉石ガイドブック『泉石と雪の殿様』を読みました。鷹見泉石(たかみせんせき) (1785-1858)は、古河藩出身の江戸時代末期の蘭学者として知られています。渡辺崋山(わたなべかざん)の描いた肖像画は、日本画に西洋画の技法をミックスした美術の名作として国宝になっています。教科書でご覧になった方も多いでしょう。
しかし、鷹見泉石という人、単なるイケメン学者ではありませんでした。幕府の要職にあった藩主、土井利厚(どいとしあつ)、利位(としつら)の側近として、50年にわたり政治の中枢におり、海外の情報収集・分析というブレーン的な役割を果たしていたのです。 そして、ペリーが来航した1853年、泉石は「愚意摘要(ぐいてきよう)」という意見書をまとめあげました。西洋列強がアジアの国々を力で支配している中、日本が戦って独立を守ることは困難であり、鎖国をやめて貿易を始めようと説いたのです。幕府の伝統方針を否定する、非常に勇気がいる主張だったに違いありません。 おそらく、国を憂い、祖国を守りたい一心だったのでしょう。もし、彼がいなければ、明治維新も起こらぬまま、日本も列強に植民地化されていたかもしれません。もしかしたら、今なお日本もアジアもアフリカも、白人に差別され、虐げられ続けていたかもしれないのです。現代の政治家たちは、この話を聞いて何を思うでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月14日 21時05分05秒
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