卒業シーズン
そろそろ高校卒業式のシーズンに入りました。わたくしの頃は3月中旬でありましたが、最近は3月初旬が多い様に聞いております。札幌大谷は明日が卒業式と聞いております。今年は昨年のインターハイベスト8メンバーT喜さんとS藤さんが卒業です。小学生丸出しで入学した娘が1年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。これからは別の進路と聞いておりますが、3年間学校と卓球部で学んだ事を礎にしてしっかりと歩いて行かれる事と思います。心からお祝い申し上げます。おめでとうございます。この時期になると毎年思い出しますが、わたくしの卒業式当日は本当に悲惨な1日でした…もちろん自業自得ですけど…野球で有名な高校生が飲酒で処分を受けたり、芸能人が堂々と未成年の飲酒をブログにアップして謹慎された方もいらっしゃったと思いますが、すでに30年が経過しているのと有名人でもありませんので、わたくしにはおとがめがないと思いここにその愚行を告白させて頂きます。さて、卒業式は髪を金髪に染め卒業証書を破り捨てる様な不届き者も出現せずに、父母の見守る中厳かに滞りなく終了しました。2年のクラス替え時に3年間わたくしを受け持つ事が決まりがっくり肩を落とした担任の先生や、特にお世話になった鉄より固いゲンコツをお持ちの“生活指導”の先生とお互いに違った意味で泣きながらお別れをして、卒業祝いの紅白饅頭を食べながら友人の家に集合しました。その夜開催予定のクラスお別れ会の準備のためです…単なる悪巧みと言えばそれまでですが。最後に念を押すように先生から送られた言葉の「3月31日までは、まだ在校生だからくれぐれも学校に呼ばれるような事はするな」は、金八先生演じる武田鉄矢が髪を振り乱して絞り出す言葉の様にわたくしたちの胸には響かなかったようで、友人宅に着いた瞬間には…友人A「おい、今日からもう高校生じゃないんだから、今晩あたり熊の行きつけの焼鳥屋に行かないか?」わたくし「おい、人聞きの悪いこと言うなよ、たまたま友人の実家だから顔出したりしてるだけだって、どこの世界に行きつけの店のある高校生がいるんだよ、アホ」友人B「まぁまぁどっちでも良いけど、今晩はクラス皆で行こう」友人C「うんじゃぁ手分けして皆に電話しよう」と早々と決まりました。もちろん携帯電話なんてありませんから、クラス45人全員に電話で「今晩6時鳥○○集合」と、今はもうクラシック扱いのダイヤル式黒電話から連絡をしたのでした。良識のある15名程度は参加しませんでしたので、30名程が集まりました。わたくし達よりも先にこの店で呑んでいて偶然お会いした2年先輩の2人と合流する事にしてさっそく乾杯です。「日本は元々15歳から大人扱いしたのだから18歳のお前達がどうして呑んだら駄目なのか俺には分からん」が持論である親父の店ですので、卒業で浮かれていた同級生達は…いえわたくし達に先導された可哀想な30名の同級生達は、ほとんど初めて経験する大宴会に胸を躍らせて人目を気にすることなく大いに盛り上がっていました。しかし神様はそんな無法な行いを堂々と繰り広げるわたくし達を許すはずもなく、楽しい時間がそういつまでも続く事はございませんでした。数時間が経過した頃、縄のれんをくぐり「おーす親父」と入店して来た2人の着ている群青色の“制服”を知らない者は誰1人おりませんでした。目の玉はつながっておりませんでしたので、ニュー南部を撃ちまくられる心配はありませんでしたが、その光景に呆然として立ちつくす2人には、わたくし達を震え上がるには十分過ぎる貫禄が備わっておりました。制服の2人連れは周囲を見渡した後、完全に呆れ果てた様に「親父、今日は卒業式だから浮かれて街へ出る悪ガキ共が沢山いると思うけど、決して店に入れたりしたら駄目だぞ!後30分後にもう一度見回りに来るからちゃんとしておけよ!」と、小上がりで群れをなしているわたくし達を黙殺したように親父に言いました。それを聞いたわたくし達はこの優しい2人組は、卒業式特典で寛大な処理をしてくれるのだと理解し、ほっとしながら大急ぎで帰り支度をし始めたその時でした…ありえない悲劇の幕が、完全に酔っぱらった2人の先輩の罵声で開きました。先輩A「うるせえんだよ~自分の金で呑んでるのだから、放っておいてくれよ!」先輩B「そうだ帰れよ!俺たちはもう20だぞっ!」制服2人組「うん?なんだ?お前達も仲間か?そう言うことなら、ゆっくりと話を聞かせてもらおうか、ほら用意しろっ!」…この時点で寛大なお二人の恩赦はご破算になりました。哀れな35人は3月中旬とはいえまだ道路に残る雪を踏みしめながら、まだ免許の更新もした事がないので行ったことのない緊急用宿泊施設まで完備している全国チェーンの公共施設に、今日で最後だったはずの卒業式と同じ2列縦隊で整然と歩いていったのでした。しかし納得できなかったのは…なんの違法行為も行っていないのですからしょうがありませんが2人の先輩が焼鳥屋のカウンタからわたくし達を見送ってくれたことです。制服2人組も、これには苦笑するしかなかったようです。しばらくして「仁義なき戦い」時の菅原文太さんよりも渋い顔で教頭先生が引き取りに来てくれましたので、残念ながらカツ丼は食べられませんでしたが、翌朝もう行かなくても良かったはずの学校に呼び出され、3年間の労苦から解放されたはずの担任の先生からお説教ではなく「泣き言」を散々聞かされる事になりました。わたくしはただ下を向いて頭を下げる事しかできませんでした。先生は「おい話聞いているのか?反省してるか?こっちを見ろっ!顔を上げろっ!」と何度もおっしゃっていましたが……その時は“アルコールチェッカー”があれば運転を禁じられるほど二日酔いしていましたので、まさか大恩のある先生に酒臭い息を吹きかける訳には行きませんでした。決してふて腐れていたわけではございません。ええもう“海より深く反省”していたことに間違いはございません。3年間で修行僧に負けないくらい坊主にはされましたけど、今もちゃんと卒業させてくれたことを心から感謝しているのですから…本当にありがとうございました。乱文にて失礼“もうそんな時期ですか…歳を取るのが早いはずと納得の熊”