自動車学校は繁忙期です。
画像は去年まで使っていた「ボブスレー」が小さくなったので、先日購入した「新ボブスレー」に乗って喜んでいるところです。TVの県民ショーで、この“そり”を「ボブスレー」と呼ぶのは北海道だけだと放送していたと妻から聞きました。思い起こせば、それまでの木製そりとは比べられないくらい軽量で滑りの良いプラスチック製の「プラスチック製そり」が登場したのは、わたくしが小学生高学年でした。その後、札幌オリンピックが開催された時に始めて見た弾丸の様なスピードでコースを駆け抜ける本物のボブスレーの影響で「プラスチック製そり」の事を「ボブスレー」と呼ぶようになったものと認識しております。現在は1,000円以下で購入出来るようです。又、最近になって木を曲げて作った昔ながらの「そり」も人気を集めているようで、我が家でも購入を検討したのですが、安い物でも5,000円程と高額ですのであっさりと「ボブスレー」を更新することに致しました。年末年始の宴会も一段落ですので、そろそろ卓球の話を少々…と思いましたが昨日昔の同僚からお電話がありましたので、自動車学校時代の話を少々致します。まぁ「忙しくてどうにもならんからバイトに来ないか?」とのおふざけ話でしたが、職場の指導員に愚痴を言うよりは、わたくしに話した方が気が楽なようで疲れた声で電話を掛けて来ました。昔懐かしい笑い話をしていると声が大きくなったようですので、少しは力になってくれて今日から又元気で出勤してくれていると嬉しいと思っております。さて、自動車学校の一番の繁忙期は高校生の冬休み期間となります。これはわたくしが退職した頃と全然変わってはいないようです。当時の時間割は一日8時間の教習ですが、繁忙期には10時間制となっておりました。しかしこの時期指導員が受け持つ教習生は18から20人程となり、完全に一日に消化出来る人数を超えておりますから、指導員は生徒達が高校を卒業して、進学、就職して地元を旅立つ日に間違いなく間に合うように緻密に時間割を調整して、指導の限界を越えた冬道での3ヶ月間の10時間教習に従事しておりました。高校は事故を恐れてなるべく遅い時期に免許を取得させようと、冬休みが始まるまでは取得許可を出しませんので二学期が終わる日が、自動車学校の激闘の始まる日となります。すでに前日には各担当に入学生の教習原簿が渡されております。ここで割り振られた教習生の元々持っている“運転力量”が、この後3ヶ月の指導員が時間的にも精神的にも穏やかに教習に当たれるか、それとも苦しみもだえながら春を迎えるかが決まります。先ほど申し上げましたように、期日に追われるこの時期は比較的「ゆるやか」な基準で教習が進む事が、どこの指定自動車学校でも普通のことと暗黙の了解があります。まさにところてん式で春までの卒業に向かって行くのですが、中にはどうしても規定教習では卒業出来ない教習生もおります。大まかに言えば一度に多くの動作をする事が苦手と言っても良いですかね。たとえば一例を上げてみますと。実際に免許を取得してから経験を積み片側2車線以上の大きな道路をマニュアル車で右折すると当たり前の技術なのですが…自動車学校で教えるとすると…「大きな交差点での右折は回転半径が大きいですから、1速で発進してハンドルを回し始める前に2速にします。その後ハンドルを回しカーブの頂点で方向が決まった所でアクセルを離して素早くクラッチを踏み3速に増速をして下さい。」なんて言葉で説明すると、どえらい複雑な動作となります。「教え方が悪い」とか良く聞く言葉でしたが、車に向き合ってからまだ30時間以下の教習生がこういった動作をスムーズにするためには、教え方の善し悪しだけではクリア出来ない部分があるのです。もっともこういった動作をスムーズに出来る教習生にはそれなりに特徴があります。まずは目線でしたね「遠くを見ることが出来る事」です。それは変速の時にシフトレバーをついつい見てしまうとかではなく、自分の運転する車の死角部分から“目を切る”事が出来ると言うことです。もちろん指導員はこの事については、最初の教習の時にしっかりと説明をしており、その後も“目線”の取り方については各段階、各教習でも指導をしております。しかし同じ指導をした各教習生に「規定教習」で卒業した生徒と、「延長教習」「補修教習」で原簿を真っ赤にして期限ぎりぎりにやっと卒業する生徒がいる事は先ほどお書きしたとおりです。きっと要因の一つは、一連の動きを言葉ではなく感覚的に捉える資質があるかどうかと言うことではないかと思っています。この事を指導員は「運転センス」と表現しますが、他に良い表し方も思いつきませんのでわたくしもそう言っておりました。10年ほど指導員を勤めましたがやはり様々な指導方法も試行し研究致しましたが、この「運転センス」にかなうものはなかったように思います。まぁ昨日電話でこんなお話しをしていた訳ですが、30年近く指導員をしていてもまだ悩む事があるのですから、わたくしは、まだ10数年程度の卓球指導ですから…それなりになるにはまだまだ時間が掛るのでしょうねぇ~あっそう言えば、わたくしが指導した教習生で一番は…実家が酪農家で中学生の時から「トラクター」に乗り始めた農業高校の男子で、高校1年生の時には…「ばあちゃんを乗せて20キロ離れた町まで週に3回は買い物に行ってたよ、車種?ああ父さんに軽トラは事故にあったら危ないからと言われてたから、いつも父さんのクラウン。」やはり“センス”と“練習”がものを言うのは「卓球」だけではないようですねぇ~