危なかったなぁ
先日札幌の恩人に用事があり電話をしました。(年は6歳上です。)もう30年来の恩人です。この年になるとお互いに忙しく中々電話で話す機会も少なくなっておりますが、たまに話すと昔話でついついウイルコムに許されている無料通話限度の10分間を越えそうになってしまいます。この恩人は現在ススキノで「ライブハウス的なスナック?」を経営しており、わたくしも年に数度は顔を出しております。なぜ恩人かと言いますと、その当時アルバイトの世話から食事の世話、そして呑み代まで、約1年間お金の掛かることはことごとくご負担頂きましたから、今でも全く頭が上がりません。さすがに今は呑み代を「お支払い」しておりますが、わたくし的には「あの1年間」がありましたから、この恩人にお金を払うことには何となく釈然としない気持ちになってしまいますけど、「熊の野郎いい年をしてまだ俺にたかるつもりなのか」などと小言を聞くのも恥ずかしいですので、渋々ながらも、かなり割引されたであろう金額をお支払いする事にしております。この方は素晴らしい声と声域をお持ちでして、今でもその歌声には多くのファンもおりますので、是非恩人の作詞した「白い冬」なんぞを聞きにススキの大松ビル「ボストンクラブ」にお越しいただけると、わたくしも少しは恩返しが出来たような気持ちになれます。さて、今回なぜこの恩人にご登場いただいたかといいますと、今朝わたくしが自転車で通勤をする途中に後ろから爆音を響かせてオートバイが近寄ってまいりました。怒り半分ビビリ半分で歩道の上に避けたところ、わたくしの横でジャックナイフしそうな勢いで停車した「ハーレー」に乗っていた男がヘルメットを取り・・・「おい熊~俺だよ~かっこいいだろう~なんだかんだで200万もしたんだぞへへへ」と、耳から上の部分だけ禿げ上がった親父が、スクールゾーンを通学中の小学生達が汚い物を避けるように歩いているのにも気づかずに自慢げににやにやしているので、ついムカッとしてしまい「いいから早くヘルメット外せよ、変わったヘルメットだな、第二次世界大戦のゼロ戦のパイロット用か?でも耳かけが揉み上げの様に見えるぞ、あぁヘルメット外してるのか・・・へっハーレーなんてお前には似合わんぞっ」と、冷たく突き放してやりました。わたくしもオートバイが好きで750や1000の大型にも乗っておりましたから、大型バイクを購入した嬉しさが理解できないわけではありませんが、今は我が家の予算の全ては「卓球」に注ぎこまれておりますから、大型二輪どころかスーパーカブにだって乗ることも出来ませんので、ついつい嬉しさではしゃぐ友人を許せず悪態をついてしまいました。(後で知ったのですが、この男は普通の人の5倍も掛かってやっと取得した大型免許だったそうです。少しは優しくしてあげればよかったと後悔しております。)やっと本題にたどり着くのですが、実は、その“未熟な運転でよろよろ走り出す”ところを見て「恩人」を思い出したのでした。その当時恩人が「熊、俺は高校時代に取ったきりのペーパードライバーだからいつもお前を送迎係りにしているけど、いつまでもお前にでかい顔をさせるのは腹が立つから、お前に内緒でホンダCB50を買ったのだよ、へへ~ん。厚別のバイク屋なんだが今日納車だから乗せていってくれ、もうお前の世話になるのは今日が最後だっ!」と言われましたから、従弟と二人で車で送って行ったのですが・・・元々、車やバイクになんて興味もなくまったく知識も何もない恩人は、バイク屋さんの店員さんから何十も説明を受けてもちゃんと理解できていなかったようで、クラッチを握らずにエンジンをかけては「ミニウイリー」を繰り返し、やっと動き出しても、ずっとローのままなので首が折れるのではと心配するほどのギクシャク走行をして、信号が赤になるとクラッチを握らないので、100パーセントエンストをして、またミニウイリーを繰り返して、普通なら30分の道程を2時間以上掛けて西岡までやっとの思い出たどり着き、疲れきった顔でわたしに向かって・・・「おい熊!明日からこのCBお前に貸してやる、どうだ嬉しいか!今から霊園前(今は南平岸駅です)の南蛮船で呑会があるから乗せて行け」と、顔を紅潮させて言い放ったのでした。その時、後ろを走っていたわたくしと従弟は120分笑い放題でお腹が痛くなりながらも、あまりの凄まじいテクニックに、本気で恩人が無事に生還出来る事を祈りながらハンドルを握っていた事を思い出していたのでした。そろそろオートバイの季節ですねぇ~(もう乗ることはありませんけど)