新・賢者の贈り物【更新】
あるところに、二人の男女がいました。時はクリスマス。しかし二人には、お互いへのプレゼントを買うお金がありません。男は大切な時計を売り、彼女のために櫛を買い女は自慢の髪を売り、彼のために時計の鎖を買いました。お互いに贈り合ったものは無駄になってしまいました。しかも、時代の流れは成果主義。結果が全ての世の中では、何の意味もありませんでしたとさ。---------------------------------------------------なんでこんなことを書いたかというと実は私、贈り物で2連敗しました。クリスマスの入籍日に彼女には私の苗字の印鑑を、彼女のお母さんには、一足早い花束贈呈ということでお花を贈りました。常連さんはご存知でしょうが、印鑑は、「名前の印鑑を持っているから」ということで彼女に一度却下されています。張り切って贈ろうとしていただけに私の凹み具合も相当なものでした。そんな私に同情し、彼女も自分の印鑑を持っているにも関わらず、私に印鑑を贈らせてくれたんですよね。その優しさが嬉しいのと同時に私に対し、気を遣わせている申し訳無さも感じました。ちなみに、印鑑を却下された時、何が欲しいか聞いたら「東京で乗る自転車」でした。それは、5月にある彼女の誕生日プレゼントで贈る予定だったので(もう5ヶ月先を考えてました)「でも、春まで必要無いから、今回のクリスマスプレゼントでは要らないよね?」と、説得したんですよね。一応私も、必要な物と使う時期を考えてプレゼントは考えているつもりなんですよね。春まで乗ることの無い自転車をクリスマスに贈るより入籍後の色々な事務手続きで必要な印鑑の方がいいかなと。一生使えるから、入籍記念にもちょうどいいかなって。でも結局、彼女の希望を当てることは出来ずまず1敗目です。そして先日、彼女のお母さんの所にお花が届きました。12月24日にフローラルカードという物が届き贈られた人の好みに応じて、お店でアレンジした花を届けてくれるというシステムです。カードが届いたまでは、意表を突いて良かったらしいのですがどうやら、届いた花が彼女のお母さんの好みにちょっと合わなかったそうです。昨日・一昨日と、実家に帰っていた彼女が証言してくれました。結果的に彼女のお母さんに喜んでもらえずこれで2連敗です。2つとも、原因は全て私の勝手な思い込みでした。贈りたいものと、欲しいものの違いを見抜けないまま勝手に突っ走ってしまったこと。私自身、プレゼントは何が貰えるんだろう、という期待感を持っているのであまり自分からは物を指定したくありません。物の指定=金額の指定、ということにも繋がるので相手の金銭事情もあるだろうし、何よりもサプライズの喜びもありますからね。たとえ、自分の望むものと違っても一生懸命選んでくれた、一生懸命作ってくれたという感じは伝わってくるので、嬉しく感じます。どちらかというと、プロセス重視です。そして、この自分の価値観を彼女や彼女のお母さんにも押し付けようとしたのが2つ目の失敗です。結局、私の自己満足だったんですよね。プレゼントは、贈った相手に喜んでもらってなんぼ、です。そして、贈る気持ちよりも、贈られた物の方が肝心です。贈られた人には、贈られた物しか見えないんですから。贈る人の気持までは見えないですよね。今回の件で、痛いほど学習しました。実は、結婚式でのサプライズなんかも考えていましたがやっぱりサプライズは怖いですね。当たれば大きいんですが、外すのも怖いですから。まして、こんな肝心な日には失敗できません。今回の件で、かなりトラウマになってしまったので今後、サプライズは辞めることにしました。くまみへやっぱり嫌われるのが怖いから、もう無理だよ。自信を持って贈れないし、プレゼントを受け取ったくまみの顔色伺っちゃいそうだし。その代わり、プレゼントで欲しいものがあったら遠慮無く言ってね。【更新分】今日、狙ったかのようにメールマガジンが送られてきました。贈り物で人を感動させる方法というタイトルのものですが今日のテーマは「何が欲しいですか?」と聞かない。というものでした。以下、そのメルマガの抜粋です。------------------------------------------------結婚や出産の報告を周囲にすると、多くの方がお祝いをしてくれます。これはとても嬉しいことです。その都度、いろいろなお祝い品をいただくのですが、たまに、このようなことを仰る方がいます。「何が欲しいですか? 何でも好きなものを言って下さい。」もちろんご厚意から出た言葉ですが、悩ましく感じることもあるのです。とても親しく、気兼ねなくつき合っている仲であれば、こちらも遠慮無く、欲しいものを口に出せます。しかし、相手の方が自分よりも目上の人だったり、それほど親しくない人だったりする場合、「何が欲しいですか?」と聞かれると、返答に窮するのです。かなり親しい仲でもない限り、「何が欲しいですか?」と聞かれて、「○○が欲しいです」とは、なかなか言えません。また、祝福を受ける立場の人間は一方で、「祝い事に対する周囲からの妬み」を恐れていたりもして、自分からお祝い品を要求するようなことはしづらいものです。私も「何が欲しいですか」と聞かれたことが何度もありますが、たいていは「お気持ちだけで結構です」というニュアンスで返答しました。お祝いをする人は、この点を考慮しなければいけません。「何が欲しいですか?」という言葉は、一見、相手の立場に立っているように見えますが、「言いにくいことを相手に言わせようとしていないか」と、考える必要があります。何を贈って良いか分からないときでも、余程親しい相手でない限り、「何が欲しいか」と聞くことは止めましょう。「嬉しい驚き」を感じてもらうのも、プレゼントの醍醐味だと考えれば、最初から手の内を見せるのは、野暮でもあります。「何を贈れば喜んでくれるか?」と考えることもプレゼントの一部ですし、贈り物をもらった人は、プレゼント選びをしてくれたこと自体に対しても、大きな喜びを感じるからです。---------------------------------------------------最後の言葉が胸に響きました。「何を贈れば喜んでくれるか?」と考えることもプレゼントの一部贈る時もそうですし、贈られる時も一生懸命選んでくれた相手のことを忘れないようにしたいです。