カテゴリ:クラシック音楽
74話:ハイドン◇トランペット協奏曲変ホ長調 今日の作曲家は前回お届けしたモーツアルトと親交の深かったハイドンの作品から。 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Josepf Haydn 1732-1809)は古典派を代表するオーストリアの作曲家です。たくさんの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父と呼ばれています。 またハイドンと言いますと、エステルハージ家とは大変深い繋がりがありました。1761年からそのエステルハージ家での仕事に携わります。当主であったニコラウス・エステルハージ侯爵は音楽に対して深い理解者であり、ハイドンの作品にも大いに理解を示し、芸術家としての成長に必要なものとして、たとえば専属の小オーケストラを毎日貸すなど、様々な形で創作環境を整えてくれました。ここでハイドンは作曲やオーケストラの運営、室内楽の演奏、オペラ作品の上演などの総責任者となったのです。
作者不明:ニコラウス1世 また1781年頃、ハイドン49歳は25歳のモーツアルトと親しくなりました。ハイドンとモーツァルトは弦楽四重奏を一緒に演奏するなどして交流を深めました。ハイドンはモーツァルトの作品に深い感銘を受け、その後モーツァルトの最も得意とするジャンルであるオペラや協奏曲の作曲をほとんどやめてしまったとの事です。 私自身が本で読んだのですが「ピカソ」の父は息子に絵を教えていましたがピカソが13歳になった時に自分の域に達していると理解し父親自身が絵を描くのをやめたとの事。自分を超えていく才能は喜ばしい事でもあり自分自身に折り合いをつける潔さも大切なのですね。 さて本題、このトランペット協奏曲を作曲したのは晩年にあたる1796年、68歳の頃です。それは104曲におよぶ交響曲も書き終わり、最後の弦楽四重奏曲集やオラトリオやミサなどの大作の創作に取りかかっている集大成の時期でした。 作曲のきっかけはハイドンが長年にわたる友人ウィーンの宮廷トランペット奏者でハイドンの友人でもあったアントン・ヴァイディンガーからの依頼でした。いつもなら興味を示さなかったハイドンもその当時発明されたばかりの「キイ付きトランペット」のためという目新しさにひかれたようです。 その楽器はその友人ヴァイディンガー自身の発明です。それ以前のトランペットは通常、バルブがなく、唇の圧力を変えることで辛うじて自然倍音を出せるにすぎませんでした。そしてこれらの倍音は高音域に寄り集まっていたから、古い時代のトランペットは、非常に高い音域の旋律を奏でるしかなかったのです。そこでヴァイディンガーはすべての音域で半音階を演奏できるような有鍵(キー付き)トランペットを発明したのです
写真~当時の有鍵トランペット
くみこpiano・ youtube チャンネル 先月末にセカンドアルバムのためのトータル60分ほどのピアノ作品すべて収録が終わったところです。 ふ~~ やれやれ。。。 レコーディングは毎回試練ですが自分を高める貴重な勉強の場。 これからも演奏に対して純粋に、全身全霊をかけて取り組んでいきます エルガー◇愛の挨拶 ピアノソロバージョン 他 http://www.youtube.com/user/kumikopiano?feature=mhw5 私のCDに関するお問合せはこちらへ:k-honma@violet.plala.or.jp お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 1, 2010 08:22:47 PM
|