カテゴリ:クラシック音楽
リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864- 1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家です。交響詩とオペラの作曲で知られ、また、指揮者としても活躍しました。 私のシュトラウスの印象は裕福な家庭に生まれ、素晴らしい教育を受け、音楽の才能に恵まれ、作曲、指揮だけでなく、器楽演奏特にヴァイオリンについては大家に近いものを持っていた・・まさに語学と絵画にも卓越していたメンデルスゾーンを連想してしまいます。 さて、父はホルン奏者で、シュトラウスは幼少から徹底的な音楽指導をうけます。後に父のことを回想して次のように言っています~父は先ず第一にモーツアルトを、次いでハイドン、ベートーヴェンを高く評価していた。その他はシューベルト、ヴェーバー、メンデルスゾーン、シュポーアであった~ 1880年あたりまでは、シュトラウスの作品は父親の教育に忠実で、古典派・ロマン派の巨匠たち、例えばモーツアルト、シューマンやメンデルスゾーン風のかなり保守的で流麗さが特徴でした。やはりモーツァルトを崇敬しており、「ジュピター交響曲は私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたとき、私は天国にいる思いがした」と語ったといわれています。そして父親の考えを受け継いでいたので、リストやヴァーグナーなどの新ロマン派には背を向けていました。 しかし、その後からシュトラウスが新しい音楽に興味を持つことになりますが、きっかけとなったのは、優れたヴァイオリン奏者で、ワーグナーの姪の1人と結婚したアレクサンダー・リッターと出会ったときからです。リッターの影響により、革新的音楽に真剣に向き合うようになりました。 また、20世紀の代表的な作曲家シェーンベルクとは特に10年間ほど大変密接な関係でいました。 R.シュトラウスの作曲活動は3期に分けられています。今日の作品は第1期(1880~87) 1883年、19歳の作曲です。 背景として、1882年「トリスタンとイゾルデ」を聞いてからヴァーグナーに傾いていきます。1983年、ベルリンへ行った時、美術のメンツェルなどから影響を受け、芸術の新しい動きへの目を開き始めていきます。1884年ハンスビューローと出会い、彼から認められ、ブラームスの熱烈な信奉者にもなりました。そうして標題音楽と絶対音楽、革新と保守の間をさまよい、この頃、ブラームス風であるがヴァーグナーの影響も強い作品を書いています。ロマンスと同じ年に書かれた「チェロとピアノのためのソナタOp.6」(1882-83年)。 こうして、マイニンゲン時代(1885年-86年)にヴァーグナー派に転向し始めました。 この曲はもともとはチェロとオーケストラのための曲で、1883年にチェリスト、ハヌシュ・ヴィーハンのために書かれましたが、献呈は作曲家の叔父でミュンヘンの首席検察官アントン(リッター・フォン・クネツィンガー)になされました。初演はシュトラウス自身のピアノで演奏されましたが、その後作品の存在は忘れられ 100年近くなった1980年にようやく再発見され、今日に至ります。生まれた時期がもう少し前だったら私たちはこの曲に出会えなかったのですね。 典型的なロマンスの形式で書かれており中央に対照的な部分が置かれています。 下記のピアノトリオコンサートでも、この曲を演奏致します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 24, 2012 08:15:20 AM
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