カテゴリ:クラシック音楽
今回はラフマニノフのピアノトリオをご紹介します。
ラフマニノフと言うと、ピアノの作品は沢山演奏会でも取り上げられていますが、ピアノトリオはあまり日本では知られていないのではないでしょうか。 何といってもやはりピアノ曲ではコンチェルトやプレリュード「鐘」が有名ですね。 また、ラフマニノフの手は大変大きく、鍵盤のドからオクターブ上のソまで届いたとも言われています。編曲も多く残していますが、リストと同じように演奏は高い技術を求められ、表現は華やか、まさにヴィルトーゾです。 しかしそれに比べて彼が他の作曲家の作品の演奏を聞いて(youtube)非常にロマンティックな事に私は驚きました。特に最近聴いたシューベルト=リストのセレナーデは非常に静かで歌心があふれていると思いました。 セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(1873-1943)はロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者です。 両親ともに裕福な貴族の家系の出身で、父方の祖父はジョン・フィールドに師事したこともあるアマチュアのピアニスト、父親は音楽の素養のある人物でしたが、受け継いだ領地を維持していくだけの経営の才能には欠けていたようで、セルゲイが生まれた頃には一家は破産寸前でした。 小さい頃のラフマニノフは、ノヴゴロド近郊のオネグは豊かな自然に恵まれた地域で、多感な子供時代を過ごしました。4歳の時、姉たちの家庭教師がセルゲイの音楽の才能に気がついたことがきっかけで、ペテルブルクからピアノ教師アンナ・オルナーツカヤが呼び寄せられレッスンを受けました。しかし、9歳の時ついに一家は破産し、ペテルブルクに移住、両親は離婚、父は家族の元を去っていったのです。いつも両親の言い争いを聞きながら寂しい少年時代を過ごしたことでしょう。 やがてセルゲイは音楽の才能を認められ、奨学金を得てペテルブルク音楽院の幼年クラスに入学することができるのですが、不良学生で、12歳の時に全ての学科の試験で落第してしまいました。従兄に当たるピアニストのアレクサンドル・ジロティの力を借りてモスクワ音楽院に転入し、「ニコライ・ズヴェーレフ」の家に寄宿しながらピアノを学ぶことになりました。 スクリャービン、マクシモフ、ラフマニノフ、チェルニャエフ、ケーネマン、プレスマン ズヴェーレフは厳格な指導で知られるピアノ教師で、ラフマニノフにピアノ演奏の基礎を叩き込みました。ズヴェーレフ邸には多くの著名な音楽家が訪れ、特にチャイコフスキーに才能を認められ、目をかけられました。また音楽院ではアントン・アレンスキーに和声を、セルゲイ・タネーエフに対位法を学んだのです。同級にはアレクサンドル・スクリャービンがいました。 ズヴェーレフは弟子たちにピアノ演奏以外のことに興味を持つことを禁じていましたが、作曲への衝動を抑えきれなかったラフマニノフはやがて師と対立し、ズヴェーレフ邸を出ていきました。彼は父方の親戚に当たるサーチン家に身を寄せ、そこで未来の妻となるナターリヤと出会ったのです。 1891年に18歳でモスクワ音楽院ピアノ科にて大金メダルを得て卒業しました。金メダルは通例、首席卒業生に与えられますが、当時双璧をなしていたラフマニノフとスクリャービンは、どちらも飛びぬけて優秀であったことから、金メダルをそれぞれ首席、次席として分け合ったのです(スクリャービンは、小金メダル)。同年ピアノ協奏曲第1番を作曲しています。 さて、今日ご紹介する「悲しみの三重奏」または「ピアノトリオ第2番ニ短調」は、1893年11月6日にチャイコフスキーが亡くなり、追悼のために作曲しました。チャイコフスキーが創始したこの「亡き芸術家の追悼音楽」としてピアノ三重奏曲を作曲するという教えであり、ロシアの伝統でもあったのです。 ラフマニノフは2つのピアノ三重奏曲を作曲しました。一つはモスクワ音楽院在籍中の1892年に完成された、単一楽章によるト短調の作品。もう一つは卒業後の1893年に作曲されたニ短調による作品です。前者はラフマニノフの存命中に出版されることがなく、長らく忘れられていたが、現在では前者を「第1番」、後者を「第2番」というように呼び分けています。 第1楽章:モデラート Moderato - Allegro vivace 第2楽章:クヮジ・ヴァリアツィオーニ Quasi variazione. Andante 第3楽章:アレグロ・リゾルート Allegro risoluto - Moderato Mikhail VAIMAN (1926-1977), violin - Mstislav ROSTROPOVICH (1927-2007), cello - Pavel SEREBRYAKOV (1909-1977), piano (Live rec: Leningrad, 1976) 私は以前、映画「ラフマニノフ・愛の調べ」を見て強烈に印象をもっているシーンの一つに彼がライラックの花束をかかえて家族のもとに戻るところです。音楽は「アンダンテ・カンタービレ」。やはり、彼の作曲した歌曲「ライラック」作品21-5が広く愛されてラフマニノフのロマンスを象徴する存在となり、ライラックの花は彼の存在と深く結びつけられるようになったのですね。恋人や熱狂的な彼のファンがライラックを届けるシーン、実際にあった事のようです。 ライラックの花言葉:初恋、謙遜 ☆もう一つのエッセイ 《音楽と絵画の部屋》 も重ねてご覧ください。 ☆youtube:kumikopianon 音楽の花束 私自身の演奏、現在99曲をのせています。 モーツアルト:ピアノトリオ ト長調 KV564 R.シュトラウス:ロマンス ヘ長調 Op.75 ヴェニャフスキ:モスクワの思い出 Op.32 アレンスキ:ピアノトリオ No.1 Op.32 シベリウス:ロマンス(ピアノソロ) エルガー:愛の挨拶 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 9, 2013 10:01:54 PM
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