カテゴリ:クラシック音楽
暑中お見舞い申し上げます。
連日の暑さ、皆様どうのりきっていらっしゃるでしょうか。 私は毎朝愛犬と一緒に近くの海の公園を散歩しています。堤防から水面を覗くと丁度その頃は朝ごはんの時間、小魚の群れが波紋を作り、時には飛び跳ね、またそれを目がけて鳥たちがどこからともなく舞い降りて来て水面にもぐります。またしばらくすると浮き上がり喉を真っ直ぐにのばしている様子に時々出くわします。また釣り人は魚の居場所を鳥たちから学び忍耐強く決定的瞬間を待っているのです。 ***** 今日はベートーヴェン作曲ピアノソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」をご紹介します。これはベートベン中期の作品、1802年に作曲されました。特に第3楽章は有名で単独で演奏される機会も多く色々な場面で親しみがあるのではないでしょうか。 ベートーベンは1792年に第二の故郷となるウィーンへ旅立ち6年目の1798年、ようやく音楽家として成功の道が開けた27歳の時、難聴という病に蝕まれていくことになるのです。 この1802年のベートーベンは意欲的で、もし*1「遺書」の存在を知らなければ、まさに意気揚々と創作意欲に溢れて見えたことでしょう。3曲のヴァイオリンソナタ、交響曲第2番、テンペスト、二つのピアノ変奏曲など次々と書かれました。 *1 ベートーヴェンが残したひとつに、「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれるものがあります。病によってこの世を去った直後、手紙は彼の自室の戸棚に仕掛けられた秘密の場所から複数の遺品とともに発見されたといいます。 宛先人の弟に送られることなく留め置かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれたのは、1802年10月のこと。滞在先のハイリゲンシュタット(現在のウィーンの一部)で書かれたこの手紙には、深く激しい苦悩から自らの命を絶つことさえ考えていたベートーヴェンの切なる叫びが赤裸々に綴られています。 「(前略)耳が聞こえない悲しみを2倍にも味わわされながら自分が入っていきたい世界から押し戻されることがどんなに辛いものであったろうか。(中略)そのような経験を繰り返すうちに私は殆ど将来に対する希望を失ってしまい自ら命を絶とうとするばかりのこともあった。そのような死から私を引き止めたのはただ芸術である。私は自分が果たすべきだと感じている総てのことを成し遂げないうちにこの世を去ってゆくことはできないのだ。」 さて、『テンペスト』という通称については、弟子のアントン・シンドラーがこの曲とピアノ・ソナタ第23番の解釈について尋ねたとき、ベートーヴェンが*2「シェイクスピアの『テンペスト』を読め」と言ったとされることに由来しています。 *2 ウイリアム・シェイクスピア William Shakespeare(1564-1616)英国の劇作家、詩人 テンペストとは「嵐」という意味です。シェイクスピア最後の作品と言われ、初演は1612年頃でした。ルネサンス時代のエンブレム(象徴)として船と嵐は大変多く見られました。船は何よりも人間自身の比喩であり、海原を航行する船は人生の航路に例えられてきたことは想像できますね。 ~専門家の言葉より ~ このロマンス劇の特徴である漂流・再生・和解・再会を巧みに配し、簡潔な語句による透明感のある世界を作り出している。究極の赦しと解放の境地に到達することの困難さを暗示する作品でもある ベートーヴェン自身、この病とどう向き合い、戦うべきか、それともこの激しい海原にいっそうのこと身を投げてしまおうか、ただただひたすら来る日も来る日も考えていたのでしょう。印象的なことは遺書にもある"死から自分を引き留めたのはただ芸術である"。 現代の私たちもベートーヴェンと同じ高い意識を持つまでいかなくとも、自分に最も大切なことを見つけ、没頭する事がどれだけの幸せ、心を豊かにすることであるか、立ち止まって考えてみませんか。お金や物ではない精神的なものを探す、見つけることが将来を豊かにしていくことであると思わずにはいられません。 こちらのプログもお立ち寄りください。音楽と絵画の部屋Chapter 15. シェイクスピア:喜劇〈テンペスト〉 Pianist: Ory Shihor 第1楽章Largo-Allegro 第2楽章Adagio 第3楽章Allegretto ☆youtube:kumikopianon 音楽の花束 私自身の演奏、現在101曲をのせています。 ☆本間くみ子 第5回ピアノリサイタルシューマンのまなざし お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 31, 2013 09:22:52 PM
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