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カテゴリ:紅葉
淨智寺の紅葉 2008今日は、北鎌倉の淨智寺の紅葉です。 淨智寺の歴史 鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の3男である北条宗政(1253~1281)の菩提を弔うために、弘安6年(1283年)に創建された。開基は宗政の子北条師時としたが、当時師時は8歳であり、実際には宗政の夫人と兄北条時宗の創建である。 開山は日本人僧の南州宏海が招かれるが、宏海は尊敬する宋出身の高僧兀庵普寧(ごったんふねい)と導師の大休正念を開山にして自身は準開山になる。なお兀庵普寧は文永2年(1265年)に中国に帰国し、浄智寺開山の7年前に没している。 その後、高峰顕日や夢窓疎石らの名僧が住持し、最盛期には七堂伽藍を備え、塔頭(たっちゅう)も11寺院に達した。元享3年(1323年)年の北条貞時13年忌には浄智寺からの参加僧衆は224人に達したと記録にあり、当時浄智寺の総人員は僧侶以外も加えると500人ほどに及んだとみられる。発掘調査では谷戸のずっと奧、天柱峠のすぐ下あたりまで人の手の加わった跡があり、おそらくは現在の円覚寺の規模に近いものがあったと思われる。 鎌倉幕府滅亡後も寺勢は衰えず、延文元年(1356年)には火災で創建時の伽藍を失うが、室町時代にもまだかなり大きな寺で、上杉禅秀の乱のあとの応永24年(1417年)に足利持氏が鎌倉に戻ったとき、まず浄智寺に入り2ヶ月以上滞在した。また持氏の子永寿王(後の足利成氏)が宝徳元年(1449年)に鎌倉に入ったときも浄智寺に滞在したなども浄智寺の規模の大きさを示している。 しかし、15世紀半ばころから都市鎌倉そのものの衰亡と足並みをそろえて徐々に荒廃し、なお江戸時代末まで塔頭8院を維持したが、大正12年(1923年)の関東大震災でその大部分が倒壊し、こんにちの伽藍は概ね昭和になってから復興された。
場所 北鎌倉 淨智寺 撮影日 2008(平成20年)11月30日
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