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くにちゃん2@撮影散歩

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2008年12月25日
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水仙  三景

鎌倉の淨妙寺は、花の寺と看板猫で有名です。

もう、少しですが水仙が早くも咲いていました。今回は、撮影方法を変えての

撮影です。どれが良いでしょうかね。

私にも決めかねています。

 

1.

水仙 三景 2008  淨妙寺にて

 

 

 

 

 

 

2.

水仙 三景 2008  淨妙寺にて

 

 

 

 

 

3.

水仙 三景 2008  淨妙寺にて

 

場所

鎌倉市  淨妙寺

撮影日

2008(平成20年)12月21日

 

浄妙寺(じょうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の禅宗寺院。山号は稲荷(とうか)山。詳名は「稲荷山浄妙廣利禅寺」という。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は足利義兼、開山(初代住持)は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)。鎌倉五山の第五位。鎌倉三十三観音第9番。

足利貞氏の墓とされる宝篋印塔がある。

婦人病(婦人病に霊験のある神・淡島大明神立像がある)の祈願箇所。

 

鎌倉市の東部、市の中心部から横浜市の金沢に抜ける金沢街道沿いに位置し、杉本城趾(現、杉本寺)と朝比奈の切り通しとの間にある。境内地は鎌倉駅から2.5km ほどの谷間の中間平坦地にあり、北東に胡桃山、南西に衣張山がある

鎌倉五山の第五位の寺院として、かつては広大な寺地を有し、23箇院の塔頭(たっちゅう)寺院を有していた。現在でも付近一帯の地名を「浄明寺」といい(地名は「妙」の代わりに「明」字を用いる)、住宅団地名にも使用されるなど、その名残を残している

足利義兼による文治4年(1188年)の創建と伝えられる。初めは極楽寺という密教真言宗)の寺院であったが元弘元年(1331年)9月、足利尊氏が、父・貞氏を葬ったのを機会に増築し浄妙寺と改めた。臨済宗に改宗されたのは足利義氏の頃というが、寺史は史料に乏しく不明な点が多い。

  • 文治4年(1188年):創建。開山は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)、開基は足利義兼
  • 建久9年(1198年):足利義兼は秘蔵の弘法大師筆の荒神・不動の二軸を刻ませた。
  • 正治元年(1199年):源頼朝・足利義兼が没し、北条政子は前年作成の荒神・不動を寺門の右の小高いしげみの「本寂堂」に安置したという。
  • 建暦2年(1212年):源実朝足利義氏に命じて造営を加え、母北条政子白檀の弥陀の立像と新造の釈迦像を安置したという。
  • 正嘉元年(1257年)~正応元年(1288年)ごろ:蘭渓道隆(建長寺開山)の弟子の月峰了然が住持となって禅宗の寺院となり、足利貞氏法名「浄寺殿貞山道観」から「浄妙寺」に改名したとする説がある(「鎌倉志」)。異説は1319年参照。
  • 元応元年(1319年):足利尊氏が伽藍を整備し、「稲荷山」を山号とし、「浄妙寺」と改称したとする説がある(「鎌倉市史社寺編」)。異説は1257年1288年ごろ参照。
  • 延文2年(1357年):火災。
  • 延文3年(1358年):鎌倉五山第五位の寺とされる。ただし、未確定。
  • 至徳3年(1386年7月10日足利義満鎌倉五山第五位の位次を決定した。寺は最盛期を迎え、塔頭23院を有した。後、火災などで衰微する。
  • 応永31年(1424年):火災。
  • 永享10年(1438年):火災。但し、永享の乱の際に三浦時高が付近に火を放ったことによる推定という。
  • 文明18年(1486年):尭恵は『北国紀行』に「浄妙寺に入りて見るに、台あれて春の草にかたぶき、ひはだ朽ちて苔のみどりにひとし」と記している。
  • 宝暦6年(1756年):仏殿を再建する。

 

ウイキペデイアより

 

 

 

 

 

 

 

 






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最終更新日  2008年12月25日 20時22分09秒
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