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カテゴリ:古都鎌倉の紅葉
浄光妙寺の紅葉
浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は泉谷山(せんこくざん)。開基は北条長時。開山は真阿。本尊は阿弥陀如来である。北条氏や足利氏とゆかりの深い寺院で、足利尊氏は後醍醐天皇に対し挙兵する直前、当寺に籠っていたと伝える。新四国東国八十八ヶ所霊場八十二番。
歴史 鎌倉七口のうちの亀ヶ谷坂(かめがやつさか)と仮粧坂(けわいざか)に近い泉ヶ谷という谷戸に位置する。山号の泉谷山は谷戸の名にちなむものである。寺伝によれば、建長3年(1251年)、北条長時が開基となって創建したもので、開山(初代住持)は真阿であった。それ以前、源頼朝の命により文覚上人の建てた草庵があったともいうが、定かでない。なお、永仁4年(1296年)の開山(真阿)譲状には北条時頼と長時が開基であると記されている。長時は鎌倉幕府6代執権で、文永元年(1264年)、36歳で死去し、浄光明寺に葬られた。開山の真阿は浄土宗系の僧であるが、当寺は創建当初から兼学(複数の宗派が並存)の寺であり、3世の高恵(智庵和上)の時から四宗兼学となって近世末に至っている(「四宗」は必ずしも4つの宗派に限らず、真言、天台、浄土、華厳、禅、律を含む)。この高恵の時代、元弘3年(1333年)には後醍醐天皇から上総国山辺郡(千葉県東金市)と相模国波多野荘(神奈川県秦野市)の寺領を寄進されており、また同年には成良親王(なりよししんのう、後醍醐皇子)の祈願所ともなっている。 浄光明寺は中世を通じ、足利氏および鎌倉公方の帰依を受けている。すなわち、暦応元年(1338年)以降、足利尊氏および弟の足利直義より相模国金目郷(神奈川県平塚市)、上総国山辺郡(千葉県東金市)、伊豆国三津庄(静岡県沼津市)などの寺領の寄進を受けている。また、直義は康永3年(1344年)と観応2年(1351年)に仏舎利を寄進している。尊氏は、建武2年(1335年)、後醍醐天皇に叛旗をひるがえして挙兵する直前、天皇への謀反の意思がないことを示すため浄光明寺にて謹慎していたとも伝えられる。この当寺の境内の様子は「浄光明寺敷地絵図」(後述)により具体的にわかる。 室町時代に入り、足利満兼(鎌倉公方)は、応永6年(1399年)、父・氏満と祖父・基氏の遺骨を分けて浄光明寺に安置し、以降、当寺は鎌倉公方の菩提寺となった。天正19年(1591年)には徳川家康より4貫800文が与えられている。 ウイキペデイアより
文化財重要文化財
ウイキペデイアより
場所 鎌倉 浄光妙寺 撮影日 2010(平成22年)12月4日 撮影機材 OLYMPUS E-P1+Leica Sumitar L50/2
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