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テーマ:今日の出来事(292944)
カテゴリ:日常生活
●背徳感にも似た快感がそこにはある。
物心ついた頃から、風呂上りに綿棒で耳掃除をするのが大好きだった。 綿棒1本で、両耳の掃除をする。濡れているから 耳垢もよく取れるし、なにより気持ちいい。 綿棒で快感を得るために風呂に入っていると言っても 過言ではないくらいだった。 毎日欠かさない。旅行に行く時も綿棒は必須。もちろん欠かさない。 毎日やるのは耳によくない、と忠告してくれる人もいたが、 申し訳ないがこれだけは、と言ってはねつけてきた。 時にはその頑固さが理由で別れることもあった(ないが)。 最近耳に異変が起きた。 気持ちいいだけの綿棒掃除中に少し痛みを感じるようになったのだ。 優しく優しく耳垢を取っているのだが、快感が高じてくると 少しずつ少しずつ奥の方に綿棒を入れてしまっていて、 鼓膜を傷つけているようなのだ。 釈迦のように目を半開きにして至福の境地に達している最中、 鋭い痛みがおき、現実に引き戻される。 毎日の綿棒はやめた。1日おきにすることにした。 しかも、以前よりもゆっくりと優しく、なるべく奥に入らないように 気をつけて入り口周辺を念入りになぞることを心がけるようにした。 その甲斐あって、痛みが起きることも減ったのだが、 悦楽の彼方は痛みを得るギリギリのところにあることも知っている。 チキンレース。 浅いところで止めておけば痛みを感じることもない。 しかし、それ以上の快感を得ることもない。 どちらがいいのか。 人生を如何に生きるか、という大問題に通じる問いである。 快感を知ってしまっている私は、少しだけ攻める。 ジリジリと。0.1mm単位で調節しながら、少しずつ少しずつ 奥の方へ匍匐前進。まだ痛くないまだ痛くない。 痛みと紙一重にいる戦慄感がさらに快感を増す。 それなりに十分に快感を得て撤退する時の幸福感と 物足りなさを説明するには紙幅が足りない。 幸福感に包まれながら匍匐前進を行うも、突然痛みという反撃に あって、あえなく全面撤退を余儀なくされる時の敗北感を 説明するにも紙幅が足りない。 今日もギリギリの戦いに向かうとしよう・・・。 #生きているという実感がそこにはある お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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