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シルク特選~シルクで健康

シルク特選~シルクで健康

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August 22, 2009
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私が見舞う前に、弟が急遽父を自宅に連れ帰る手配をして、自宅で一泊する間全ての面倒を看て、好きな物を食べたりして過ごし、たまたま翌日は兄が休みで、誰が言い出したか解りませんが「1日だけでは可哀想」と言う事になり、二泊目は兄が移動とお手洗いの介助をして、実に8ヶ月ぶりに家に帰ってのんびりしたようです。

そして更にこの翌週に、私が家族で帰省見舞いしたのですが、私の主人が男手ですから、お手洗いの介助まではお互い気まずいと思い、(ボケても羞恥心はありますからね)出来ない事はしないとはじめからきっちり決めて、母にも「私達泊まるけど主人も疲れているから父は今回は外食だけで家に帰って泊まる事は絶対に無理だよ」と話して置きました。

主人も何でもいう事聞くタイプでも先周りするタイプでもないのですが、ちゃんと話せばやる事はしてくれます、でも私達もこの不況で色々身体的にも精神的も疲れています。

2泊3日の強行軍でしたが、父の傍に居た時間は結構ありました。

空気の読めない我侭な母に振り回されないように、文句言われても愚痴られても、私は私のペースで動けるように最新の注意を計り、主人にも「母の言いなりになっていたら1日365時間あっても足りないからね」と話して動いたのですが、父に「今日はお見舞いだから一度私達家に帰るよ」と話すと、「俺はどうすればいい?」と聞いてくるし、食事に出てからも「そろそろ帰ろうか」と言い出すと、「帰るってどこに帰るんだ?」と多分解って居るけど自宅に行きたい一心でこれはボケじゃなくて、『とぼけて』聞き返されました。

でも、自分のペースも守らないと2泊3日も持ちません。

父には、「家のパパ(主人の事)もね、お休みとって来たけど会社から携帯電話とパソコン持たされて、お休みでも今日も帰ったら実家で夜は仕事があるんだって、こき使ってくれる会社で嫌だよね、だからパパ(私は主人の事もパパと呼び、実父の事もパパと呼んでます、本人もパパって呼ばれたら自分の事と認識してます)はお世話になってるところに帰って寝て、私達は実家で寝るから外泊は無理なんだけど、ごめんね」と言うと、この『こき使う会社』が凄く聞いて、それ以来帰りたい泊まりたいそぶりは一切しませんでした。

最終日3日目も、母と息子を介護施設に置いて父の相手をさせている間に、私と主人は、母がおそらく1人で出来ずに困って居るであろう日常の事を済ませる為にホームセンターへ行き、今この時に自分に出来る事を母にも「これをしておこうか」と事前に相談して、こなしてきました。

お名残り惜しくなるので、施設から帰る時はオムツ交換や食事準備で父が移動して直ぐに「じゃぁね」と、最後日も同じく「リハビリ頑張ってね」とさらっと言い残し帰りました。

結局父は『老人性痴呆と、大きくはアルコール性痴呆が加齢と共に出てきて、その影響で病院で半年間もアルコール離脱症状が出ていたのだと思います』

多分4年近く合わずに居た間に、近くに居る人には解らない老人性痴呆も出ていたのだと思います、ウォッシャブルカーテンを父と母で架け替えたと言うのですが、帰省して一番に眼に飛び込んで来たのは、居室に掛けられた全て表裏が逆のカーテンでした。

母はもともと妙な人なので母が1人でした事なら「スーパーおっちょこちょい」で笑えば済む話ですが、父が主導して取り替えた筈のカーテンが、4組中ほぼ全て表裏逆さまなんてありえません。

いつ取り替えたか時期は定かで有りませんが、父の痴呆はゆっくりと進んでいた事に間違いは無いと私は思っています。

車も団地なので自分達の借りているスペースが決まっているのですが、入院する一月程度内外に、本来自分の停める筈のスペースとは違う場所に「バックで駐車しようとしたらしく」そこの停めてあった人の車の前方に、自分の車の後方をぶつけて修理したと入院後に聞きました。

母もこの件については『なんであんな他人の場所に止めてぶつけるかね」と怪訝に話して居たので、この時点では母は痴呆なんて疑ってないのですが、私は直後単なる腰痛での入院ではないと悟り、痴呆とアルコール離脱についてネットに出てくる情報をあれこれ調べ上げました。

父の容態悪化の半分はアルコール中毒だと思っています。

ですが見舞って思った事は、介護人泣かせの父がぬくぬくの施設で人様の介助の末に生きながらえているのとは対照的に、母にも呆けの症状が出てきて居るかもと感じる事と、1人の孤独と、もともと調理が苦手な面倒臭がりぶきっちょも手伝い、家で料理を殆どして居ない事も解りました。

この数ヶ月数度にわたり、お腹が痛くて便秘で苦しいと電話が来ますが、これは父が入院する以前から4.5年来出ていた症状で、大腸の検査も3回受けて異常なし、今回また一人で居て頻回腹痛が出るので検査を受ける予定を組んで居るとの事ですが、家での調理は炊飯器がご飯を炊くだけ、自分は病院も介護施設も任せることが出来ず(気持ちだけで母よりきちんと看てくれている事は確かですが、母なりに私がしなくちゃ)しなくてもいいのに見舞い、自転車で炎天下数キロ出掛けては脱水を起こし、曲がり角を間違って自転車で転び、家に居ても暑さ寒さに疲れが出て、帰宅時にスーパーで出来合いの物を買っては古くなっても何日も摂りおき、日にち過ぎた油物を食べる、この乱れた食生活に加えて偏食、加齢による脱水、全てが悪い方へ向かい、ワザワザ週に数回2時間程度点滴を受けて居るようです。

でも、腹痛の一番の原因は食事を家で作らない事だと解りました。

本人曰く「病人よりこっち先に逝きそうだよ」と。

私もそう思います。

父は太ってはいけないし、介護人に迷惑掛けるだけなのに、母が甘い物を内緒で口に運ぶ、お陰で体重60キロ、血色も良すぎるほど良くて、頬なんてお饅頭みたい、母は背中が曲がりよろよろと歩き、「思いっきり手を握って」と握手してみたら、右手も左手も「本当かいな」と思うほど力がなくて、体重はなんと39キロだそうです。

これでは、母の限界も直ぐそこまで来ていると思いました。

でも、兄弟も同居はおそらく無理だろうし、娘の私から見ても母は我侭で扱いにくいのです。

タイミングよく父の入院二ヵ月後くらいの時に、父の介護認定申請をした折に、母に「奥さんも介護認定受けてみたら、ヘルパーさんをお願い出来るんですよ」と声を掛けてくれた方があり、私も親戚も兄弟も、誰もそんな事気が付く者もなく、母も認定を受ける事をむしろ助けが出来たと思ったのか、嬉しそうにしてました。

認定は「母は要支援2」で、この次は要介護1となり、介護が必要な一番軽い状態になるので、認定が降りてみたら、確かに母も大変だったという事が良く解りましたが、ヘルパーさんも事もいちいち文句ばかり言って、体が思うように行かなくなったら、以前にまして何も出来ないのに、口が煩く人一倍いや10倍、文句ばかりが増えました。

自分の事は解らなくても人の事は解るようで、ヘルパーさんの事もこの人は不慣れでダメだとか、この人は頭が良くて何でも出来るとか言いたい放題で居ますが、今の母に必用なのは先ずきちんとした料理を食べる事だと思うのですが、母は頭のいい人には買い物や事務処理を、不慣れでダメな人には掃除だけしてもらっているとの事です。

どちらの人もこれまた母よりしっかり何でも出来ると私は思うんですけどね。

父を看て安心して、母を看て新たな不安を抱えてしまった2泊3日でした。




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Last updated  August 22, 2009 03:35:47 PM
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