大好きな君に
前回の日記とコメントに対するレス、自分で書いておいてこんなことを言うのもなんだけど、すごくウキウキした様子であふれている。理由は・・・言わなくても解かっていただけるでしょう。何年も願い続けたことが叶うのだ。喜ばずにはいられないのだ。みなさんにご心配頂いてますけど、もときち君(仮名・この春から3年生です)とは週に1,2回は会えるので、その時には精一杯楽しむつもりです。まあ今までだって、平日には起きてる彼を見たことないんだけど・・・「それでも寂しいに決まってるでしょ?もときち君(仮名)のために、思いとどまることは出来なかったの?」という人がいるかもしれない。ううむ・・・分が悪い・・・これから先の文章は、どう読んでも自己弁護の見苦しい文章になる。それに、誰かに賛同してもらいたいわけでもない。でも僕は書こうと思う。今までにもずいぶん意味の無い日記を書いてきたけど、救いようのない日記というのは、珍しいであろう(ここ、反論不可)。今から5年くらい前の、僕が本気で離婚を考え出した頃のことである。僕と、もうすぐ他人になる妻は、夫婦喧嘩をしていた。もともと言いたいことの半分も言わないタイプの僕にしては珍しく、かなり本気で言い争った覚えがある。僕はかなり昔から会話を自分で作り上げるだけでなく、その通りにすすまないと一言も話したくなくなるという、迷惑な人間だ。囲碁や将棋の有段者みたいに、僕がこう言う、相手がこう返す、そこで僕はこう言ってやる、なんていう様に、2,3手先を考えながら会話をしていることが多い。で、その通りにいかないと嫌になるんだから、かなり嫌な奴ですね。こういう言い方が適当かどうかは知らないけど、僕なんて離婚して当り前の人間だ。それはともかくとして、とにかく僕と妻の間に激しい口論があった。理由は忘れた。忘れるほどの理由で口論できたし、口論さえ出来れば理由なんてなくてもよかったのかもしれない。今となっては、もうどうでもいいことだけど。とにかく、その時である。若干3歳か4歳かのもときち君(仮名)が、僕たち夫婦に向かって笑いかけたのである。そしてその笑顔は、驚くほどのぎこちない笑顔だった。幼稚園児が、作り笑いをしたのだ。驚かないほうがどうかしている。多分それまでのように、自分が笑えばお父さんもお母さんも笑顔になるって、そう思ったのだろう。それはそれは、哀しい笑顔だった。今でも忘れられないほど、痛ましい笑顔だったのだ。その頃から僕は思っていた。僕たちが夫婦であり続ければ、彼はこの先また、あの哀しい笑顔を浮かべなくてはならないのかもしれない。そんなの、僕には耐えられない。あんなに可愛い(幼少の頃の僕に似ている。疑うんなら写真だってお見せしたってかまわない)もときち君(仮名)に、もう二度とあんな思いをさせてはいけないのだ。あの笑顔が無意識のうちに出たんだなぁって思うと、僕は今でも泣けてきてしまう。お父さんもお母さんも両方好きなもときち君(仮名)にどちらかを選ばせるなんてことは出来ないから、お父さんが君とお母さんから離れることにするよ。でもね、新しいお父さんができない限り、いつも父親として見守るつもりだよ。またキャッチボールしようね。じゃあ、また日曜日に!