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カテゴリ:本を読んだ話
山川夫妻の訳だったので、なんとなく買いました。
アメリカで精神科の先生が実際に困り果てたという患者さんの話で、 催眠術をかけたとき、「きっかけになった時点までもどりなさい」というと、 なんと一気に前世までもどってしまう、という患者さん、 そのセッションの話がずーっとのっている本でした。 80ウン回も生まれ変わってるそうです。ウヒャー。 すごく辛い人生もあり、 戦争でしんだこともあり、 まあまあのときもあり、 思い出す価値もたいしてない人生だったときもあり、 …。 「袖すり合うも多生の縁」とかいいますが、 何度も生まれ変わる中、なんども同じ人とかかわり合いながら 繰り返し一生を送ったりするようです。 前世でお当さんだった人が、今生では同じ職場の先輩だったりとか、 そんなような。 逆に前世では近くにいたのに、今生ではまったく縁のない人もいるようです。 カルマの持ち越しというのはやばりあるらしいとのこと。 人間しとていきているあいだは、厳しい鍛錬のときなのだそうです。 この生存期間中に、なんとか仮題を消化しないと、来世へ持ち越しだそうです。 少しおもったのですが、わたしの課題ってなんでしょうね。 患者さんの課題は「信頼と信仰を学ぶ事」だったそうですが わたしも「信頼」を学ぶこかもしれないなあ、と思いました。 わたしは子供の頃から「不信感」の強い人間で、 気難しい赤ん坊だったときいています。 だれが抱いても泣くこどもだったそうです。 (多分だっこがきらいだったのだと思う…汗) 生まれたときに全身かかぶれてしまって、それを病院側が隠匿しようとしたため、 生まれてから一週間ばかりわたしは保育器に隠され、親は合わせてもらえなかったそうです。 初乳も飲んでいません。 生まれたとき、胎盤ごと生まれたので、助産婦さんが、 その膜みたいなものを破りながらだったときいています。 そんな話をごく小さいころから母親に当てつけられてそだってきたせいかと思っていたのですが 前世でカルマを返せなかったから、今生で生まれたそのときから その課題を与えられたんだよと言われれば それはまさに自業自得ですから 母の暴力的失言のかずかずも多めにみてやれる気がします。 愛とか信頼とか信仰とか、協調とか調和とか 課題のパターンはある程度きまっているとのこどですが、 段階というものもあるらしいです。 わたしは思えば愛したり愛されたりということも実感がまるでないですし 不信感の強さは人並みはずれているし いつも自分だけ不協和音であるかのように感じるし たぶん、ひどく階層の低い人間なんだろうなあ、と この本を単純に受け入れるなら、そう感じられました。 これからきっと100回くらい生まれ変わるのかな…。 まなばなくてはならないことが多すぎるよね…。 反省しました。 でもでも、わたしは多分、信仰だけはあると思うのよ。 辛い鍛錬の人生とはいえ 今生で出会った人々が 前世でもどこかで出会っていて、 友達だったり親戚だったり近所で世話したりされたり (わたしの場合恋人だった可能性はないきがする…) また来世でも合えるかもしれないと思うと、 なんだか少しうれしいです。 …あいたくないひともいるけど、(笑、そんな人に限って高校大学と先輩だったり、 中学で二年間も担任だったり) でも少し楽しみです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年08月23日 13時10分33秒
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