|
カテゴリ:カテゴリ未分類
この日記は、実は3/5に書いています。
3/3はひなまつりでした。 うちの習慣についてでもかきます。 母がつくったてづくりのフェルト人形のおひな様をかざります。 「縫うのがめんどくさかった」とのことで、 むしピンがいっぱいささっています。 けっこう危険です。 そのほか、姉たちがほうきした巨大人形なども一緒に飾ります。 母が、「ああ無情」のコレットの子供時代を若い頃に読んで ショックをうけたとかで、うちにはたくさん大きなお嬢さん人形があるのですが、 多分9体くらいですかね、 ワタシだけは「はいこれあんたに」と買ってもらったことがありません。 なぜかわたしの人形は、リカちゃんのカレのワタルくんとか(自転車にのれた) お嬢さん人形のカレシ人形(ヒロミゴーに似ている)とか、 男の子ばっかしでした。 だからきっと腐女子になったのですね。 てゆーか、多分嫌われてたっぽいです。 姉たちがわたしを虐めるのを、母は冷たい目で見ているだけでした。 つーか、幸か不幸か、変わり者の父に溺愛されていました。 父が買ってきてくれたチョーおきに入りのイチゴ模様のハンカチを、母がとりあげて、 となりのうちのこにやってしまったことがあります。 5年くらい泣いてました。 かわりにとかいってぞんざいなリンゴ柄のガーゼハンカチとか、あたえられました。 ふざけやがってとおもって、貴様の魂胆はわかっているぞと思って さらに怒り心頭でした。 あげくのはてに、5年目くらいに「いつまでないてんのよ」とののしられました。 泣くのはやめましたが、そのあともずーっとずーっと母を恨み続けました。 イチゴの柄が大嫌いになりました。 見ると泣けてくるからです。 見ないようにするしかありませんでした。 父とはやく離婚するようにすすめました。 離婚しました。 ざまみろです。 気がついたら今年、イチゴ柄の布団カバーを買っていました。 やっと母のいじめを多めに見てやる気になったんだなとおもって、我ながらやっと大人になったと思いました。 イチゴ柄大好きな自分が帰ってきてくれて、嬉しいです。 きっと男とつきあったからかもしれないですね。 父親のことが本心からどーでもよくなったためでしょう。 話がそれてますが。 うちの父はちゃぶ台返しをする父でしたが、 幼い頃ひな祭りにたいしてトラウマをウケたらしく、 3/3が近づくと荒れました。 ひな壇は不思議とひっくりかえしませんでしたが、 母のつくったおひな様は大嫌いで、いつもののしっていました。 母は不機嫌でしたが、いつも完全に無視してました。無視するしかないよね、そりゃあ。 さて、ひな壇には、他に母の「趣味の会」で集めたわけのわからん人形がほかにもどばーっと飾られます。 薪の上にすわってる秋田美人やら、掃除する小坊主やら、いろいろです。 たぬきやうさぎも多いです。 むかしひな祭りではしゃいでいたわたしは、こけてまぶたを切ったことがあります。 その年人形を並べたら、小坊主さんの目の上に赤い瑕がついていました。 …家族全員引きました。わたしは礼をいっておがみました。 わたしは多分母が亡くなっても、あの小坊主さんだけは捨てられません…汗。 ま、ハゲすきだしな。 1日ごろでしょうか、母が桃の花を所望で、 わたしはエスタのホクレンとこで買おうとしていたのですが、 会社おわったらもうなくなってました…汗。 そんで麻生の、バス停の近くの花屋いったけど、 ここも全滅でした。つか、ピンクいろの花がねこそぎなかったです。 そんで、エレベーターの近くの花屋へいったら、なぜかわんさかあったので、 (なぜかというか…わかるけどね。) チューリップとか、スイートピーと合わせて、1000円くらい買いました。 あと、甘酒と菱餅といわれたので、 あまざけはワンカップ大関のを買ったら、めっちゃうまかったです。 ひしもちはてきとうに、おこしみたいなのをかいました。 あとは、73歳現役経営者のおかんの健康を祝って、かわいいお菓子をいっぱいかってあげました。 …うちで行事好きなのは子供よりおかんです。 3日当日は、エスタのもりもとで、モモのムースののっかった小さいホールケーキを買いました。 た…たかかった!!でもおいしかった!! エスタのお菓子屋さんはもりもとに限らず、ヤカタとか、ほかんとこも全部おいしいので、 はずれなしです。 4日の日かえってきたら、きっぱりと仕舞ってありました。 去年「あれっ、すばやいね」といったら 「…いきおくれるとこまる」と言われましたっけね。 (十分もうおくれてます、おかあさん…) 2~3日、おやついっぱいあって幸せでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月05日 17時21分02秒
コメント(0) | コメントを書く |