|
カテゴリ:くろがこの世に想う事
くろが小学校から中学校にかけて
通っていた松涛館流の空手道場の、 えらい師範から聞いた話です。 (ちょっとうろ覚えですが) 「昔、空手の(技の)達人がいた。 達人が暴れ馬の後ろを通った時、 暴れ馬が達人に蹴りかかった。 達人はその蹴りを難なくかわした。 人々はその技を褒め讃えた。 次に、空手の(精神の)名人が 暴れ馬の場所に差し掛かった。 名人は大回りして 暴れ馬を避けて通った。 人々は、これこそが真の名人であると その人を褒め讃えた。」 空手が徒手空拳で自分の身を守るものであること、 また、空手が「空手道」であることを 改めて感じさせてくれた話でした。 柳生新陰流の極意、 「切らず、取らず、勝たず、負けざる」 に通じる話だと思います。 そもそも勝負自体がなければ、 勝つも負けるもありません。 剣禅一如。 剣術の柳生新陰流も 空手の松涛館流も、 極めればやはり 同じ境地ということなのでしょうか。 この世を司る 根源的な真理とは、 意外に単純で そして単一な ものなのかもしれませんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月27日 23時58分52秒
|
|