土曜日の朝から、舞鶴へとドライブ。ナビに行き先を入れる時、主人が「舞鶴って、京都やんなぁ?」って私に聞くし。オイオイ、行き先決めたのは誰やねん
最初に向かった先は「舞鶴引揚記念館」でした。そういえば、主人が「岩壁の母」の事言ってたっけ・・・・私は完璧に忘れていた。ボケ老人二人、いい勝負かな
この記念館には、主にシベリア抑留者の引揚が中心に展示されています。
食べ物もろくに与えられず、過酷な労働を強いられていた日本人。その人達の手帳(白樺の皮を剥いで作ったもの)に綴られてある、日本に残してきた家族への思い。
(自作の手帳に書かれた日記)
その強い思いだけで、過酷な生活を何とか生き抜いていた。でも、多くの命が日本の土を踏むことなく、地の果てで散っていった。今でも、遺骨がそのまま日本に帰ることなく、その地に埋まっている。
第二次世界大戦が終わった時点で、海外諸地域に残された日本人の数は、軍人と一般人合わせて620万人以上だったそうです。その人たちが一斉に日本内地へ引き揚げる様は、まさに類を見ない民族大移動だったよう。
舞鶴はこの間、60万人を超える引揚者を受け入れて、最後まで重要な役割を果たした場所でした。
そんな人たちの犠牲の上に、今の私達の平和はあるというのに、今は段々とそんな感覚も麻痺していっているような気がする。こんな世の中を見て、あの当時の人たちは、どう思うんだろうか・・・
次に向かったのは、「赤れんが博物館」
建物は旧海軍の魚形水雷庫として、明治36年に建てられたもの。現存する鉄骨れんが造りの建物では、わが国最古級のもの。建物の中には、世界各国の貴重なれんがや、れんが建造物の歴史、エピソードなどを展示。
大阪では「日銀大阪支店」や「中之島公会堂」など、関東では「東京駅」京都では「文化博物館」などの写真が、展示されていた。れんが造りの建物は、ノスタルジックで、温かみを感じる。可能な限り残していってほしいと思う。
お次は、自衛隊桟橋に停泊している護衛艦の見学。入り口では迷彩色に身を包んだ若い自衛官がずっと立っていた。車が入ってくるたびに敬礼。そして、受付を済ませていよいよ船の中へ。
船のタラップの上にも、若い自衛官が敬礼してくれている。寒い中、ずっと立ってるって大変だわ。私が上がりきるまで敬礼してくれてるので、なんか申し訳なくって。タラップが不安定でつまずくんではと少々焦ったが、なんとか無事船の中へ。
船の上には、連続で発射されるであろう銃も搭載されていました。「こんなん使う事あるんかな?」と主人に聞くと、「相手が攻撃してきたら、そらあるやろな」と、軽い返事。万が一そんな事があったら、エライことやわ。そんな事が無い事を祈るわ。
見学も終えて、ここの売店で何か記念品を見ようと主人が言うので、売店をのぞいて見ると、迷彩服の作業着や帽子、バッジなど売ってました。その中に、こんな物も、
「うまさ狙い撃ち」や「うまさロックオン」のキャッチコピーに惹かれて、ついつい買ってしまった。値段の表示が無かったが、二つで500円也。ちょっと、高いんと違う?
舞鶴って、あんまり期待して無かったけど、案外見るところもあって良かった。ただ、そこまで時間かけるかって言うくらい、主人が見学に時間をかけたので、帰宅時間が思っていたより遅くなりましたけど。
会話が噛み合ってるようで、噛み合ってない二人のドライブ、またこれからもあるんでしょうねぇ・・・・フゥー