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カテゴリ:SF
「時計じかけのオレンジ」 A Clockwork Orange 1971年 アメリカ映画 製作・監督・脚本 スタンリー・キューブリック 主演 マルコム・マクダウェル 我が敬愛する巨匠スタンリー・キューブリック監督の、近未来な退廃した世界を描いた、その暴力描写や一見犯罪を礼賛するかのような描写が社会問題にもなった問題作です。 15歳のアレックス(マルコム・マクダウェル)をリーダーとする一味は、いつものミルク・バーに集まり、その夜の計画を練っていました。 まず手始めに、酒ビン片手に橋の下で酔いつぶれている1人の老いた浮浪者を、ステッキやコン棒で殴ったり蹴ったりして袋だたきにしました。 暴虐の限りをつくして爽快になったアレックスたちは、荒れはてたカジノの舞台で、ライバルグループの一団が、1人の女性の衣服をはぎとり暴行しようとしていたところへ、殴り込みをかけ、大乱闘のあげく、敵をやっつけます。 さらにアレックス一味は、スポーツカーを駆って突っ走り、郊外の邸宅に、覆面をつけて、ずかずかと押し入り、作家夫婦に暴行します。アレックスはご機嫌で、「雨に唄えば」を口ずさみながら、旦那に蹴りを入れながら、眼の前で奥さんの衣服を切り裂き、凌辱に及んだのです。 こうして一晩は終わり、アレックスは大好きなベートーベンの第九交響曲を聴きながら幸福な眠りにつくのでした。 そんなある日、ささいなことから部下のディムとジョージーが反抗しますが、アレックスは、暴力で屈服させます。 しかし、猫をいっぱい飼っている老婆の家に押し入った時、ディムとジョージーは、アレックスを裏切り、警察に売ってしまいます。 刑務所でのアレックスは、聖書を読む模範囚を装っていました。その頃、政府は凶悪な犯罪者の人格を人工的に改造する治療法を実験的に行なおうとしており、アレックスはその第1号に選ばれます。 それは特殊な覚醒剤を注射した上で衝撃的なフィルムを見せ、そのショックから生理的に暴力やセックスが耐えられないような肉体に改造するといった方法だったのです。 「僕たちのアレックスを見つけたよ。」 キューブリック監督が、初めてマルコム・マクダウェルを観たときに、思わず発した一言です。 その逸話でも明らかなように、彼がいなかったらこの映画を作り上げることはできなかったでしょう。黙っていても邪悪さが漂ってくるあの眼、ニヤッと口角をあげるだけで悪だくみが聞こえてくるような不気味な口、まさにこのアレックスを演じるために生まれてきたかのような男です。(若干話の設定よりは年を取っていますが、まさか本当の15歳にこの演技をやらせるわけにはいかないでしょうから、しょうがないでしょう。) その見るからに邪悪な男が、欲望のままに暴力をふるい、女を犯し、悪事の限りを尽くします。そんな暴力的な描写の表面的な部分を取り上げ、犯罪を誘発するとか、青少年に見せるべきではないと訴える人々がいます。 しかし、この映画は、社会批判とか政治批判とかがテーマです。そのテーマをより分かりやすく表現するために、アレックスはとことん邪悪であるべきだし、その描写は暴力的でなければいけないのです。 そんな、巨匠一流のブラックユーモアを全く理解することができず、表面的な暴力表現や卑猥な描写をよろしくないと騒ぎ立てるということは、物事を理解する能力が低いことを自らひけらかしているという、あまりにも恥ずかしい事態になりますので気をつけましょう。(まさしく、「ウルトラセブン第12話」や「おばけのQ太郎」や「ちびくろサンボ」を封印しているのが、そういう状況です。) それから、この映画の見どころは、その近未来の社会の描写です。 まず、ミルク・バー・レコードショップ・作家の家などの作りが非常に未来的でポップでオシャレだということです。作られてから40数年もたっている映画ですが、当時から見ると近未来の範疇に入っているであろう現代から見ても、その作りや家具・調度品などが進歩的で、かっこいいと思ってしまいました。モノトーンで荒れ果てている家の外の描写との対比も面白く感じました。 また、そのくせ服装や食べ物など、当時と変わりなく普通なのが、近未来として非常にリアリティがあって、いいですね。特に、車が空中を走っていないのがいいです。 以前「Code46」という映画の記事で、非常にリアルでいいと絶賛した覚えがありますが、たかだか50年くらいで、そんなに変わるわけがないというのがリアルなところで、実際。21世紀に入った現代でも、車はガソリン(一部電気)で地上を走っていますし、人々は宇宙服のような服ではなく、普通に背広とかを着ていますよね。(でも、アレックスのお母さんの変な格好はちょっと引きました。まあ、あれはちょっと感覚がおかしい人ということで、お笑いポイントなんですね。) あと、主人公のアレックスが、クラシック、特にベートーベン(アレックスは親しみを込めて、ファーストネームのルートヴィヒと呼んでいます。そのため、それがベートーベンのことと気づいていない恥ずかしい批評をしている記事がネットの中には見られました。)が好きだということで、BGMで、「第九」や「ウィリアムテル序曲」、「威風堂々」など、非常に効果的に使われています。とりわけ、「第九」は、カギになる曲なので、何度も何度も出てきます。 なお、アレックスが作家夫婦を襲う時、鼻歌で歌っていて、後半で重要な役割を担うことになり、最後はエンディングテーマにもなってしまった「雨に唄えば」ですが、実は監督が、作家を襲うシーンで、何か鼻歌を歌ってみろと言ったら、マクダウェルがアドリブで歌ったら効果的だったので採用されたということです。意外とアバウトに作っているところもあるんですね。 ということで、結構批判されることの多い作品ですが、テーマがわかりやすく、キューブリックらしい批判精神に彩られ、知的なブラックユーモアが満ち満ちていて、僕的にはかなり好きな映画です。 あっ、誤解のないように言っておきますが、僕は暴力礼賛論者ではありませんよ、極めて平和的な人間です。まあ、はっきり言って、Sですけど。(えっ、知ってたって?) なお、3枚目の写真は、「ソウ」シリーズのものではありませんよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.07.27 03:25:59
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