毎日毎日、自殺・殺人のニュースが後を絶たず流れてきます。
何でこんなにも「命」は軽くなってしまったんだろう?
自殺しようと思う人は、
「何もかもから逃げ出したい」
「自分を必要としている人はこの世の中に誰もいない」
きっとそう思うんでしょうね。
というか、そう思うんだっていうことを私も知っています。
私も大学生の時、本気で死のうと何度も何度も思ったから。
でもね、やっぱり死んじゃダメ。
「何もかもから逃げ出したい」
それなら、しばらくの間、何もかもから逃げていればいい。
自分の好きなことだけやって、辛いことやしんどいことから逃げればいい。
そんな状態であっても、生きて欲しい。
自分の大切な人には生きて欲しい、本当にそれだけなんです。
私は9年前、弟を15歳で亡くしました。
「脳腫瘍」といって脳にできるガンです。
亡くなる1年前の夏、突然、何の前触れもなく弟の左半身は麻痺しました。
初めに私が父から告げられたのは「脳梗塞」
数ヶ月すれば治る……と言った内容でした。
でもその秋ごろ、「お前には隠せないから言う。最悪の事態も覚悟しておいてくれ」
父から言われた残酷な、とっても残酷な宣告でした。
弟はそんなこと全く知らず、
「治ったら野球してぇなぁ」
「来年高校受験だから、勉強遅れないように数学教えて!」
お医者さんと両親の言う言葉を信じて、懸命に病気に立ち向かっていました。
弟は生きたかった。
だってたったの15歳。
自分の目標に向かって頑張ることも、
好きな人ができて大恋愛することも、
友達とお酒飲んで羽目はずすことも、
普通に生きていたら何でもないようなこと全て。。。
弟は何一つすることができなかった。
いじめられて辛かったら逃げたっていいんだよ。
人をいじめて何とも思わないような、最低なヤツのために命を落とす必要なんてどこにもない。
学校変えたっていいし、学校なんて行かなくたっていいし、
どこにも行きたくなかったらずっと家にこもって好きなことだけしてたっていい。
生きていれば、できることがたくさんある。
死んでしまえば、できることなんて何もない。
もし、自殺で家族を亡くしたら、
その人がいなくなった悲しみだけじゃなくて、
「何で助けてあげられなかったんだろう」っていう罪悪感を背負っていかなくちゃいけない。
私は今年、妹までも失うところでした。
原因はたくさんあります。
でもその時の直接的な原因は「ネット」でした。
妹はブログで知り合いになった人と、直でメールのやり取りをするようになり、
「会おう」という誘いを断った途端、卑猥なコメントつきの写メをばらまかれるようになりました。
そしてアドレスを変えても変えてもその人からの嫌がらせは続き、
「死ね」なんていうメールが頻繁に来ていたみたいです。
妹が薬を大量に飲んだ日も、直前にその人から嫌がらせのメールが来ていました。
妹はそんな嫌がらせにあっていたのに、私には何も言ってこなかった。
ケータイ自体を買い換えればとりあえずその人からの嫌がらせは回避できたのに、
解約すると違約金をオネエに払わせなくちゃいけないから……
そんなことを考えて言わなかったというんです。
それで1人で耐えて耐えて、限界が来て未遂を起こしてしまった。
あのまま、気づかずもう数時間経っていたら……
妹は間違いなくこの世からいなくなっていたでしょう。
私は弟だけじゃなく、妹まで亡くすところでした。
今考えても怖いです。
「もし」
発見が遅かったら……
私も生きていられないかもしれない。
妹も言います。
「あたしを必要としている人なんていない。
あたしが死んだってみんなすぐ元の生活に戻るよ」って。
戻れないよ。
毎日毎日助けてあげられなかった自分を責めて、
気づいてあげられなかった自分を責めて、
病気もせずに幸せそうに生きている自分を責めて……
人間は生まれた以上、その命は必ず誰かとつながっています。
妹が未遂を起こした時、あまりのショックと悲しさで泣き喚いたのは私だけじゃない。
父も母も。
そしてじいちゃんやばあちゃんも。
じいちゃん、ばあちゃんの悲しい顔を見るのはつらかった。
「先に逝くのはばあちゃんなんだかんな、頼むから生きてくれな」
退院した妹を抱きしめながら、ばあちゃんはそう泣いていました。
親族だけじゃない。
妹のことを心から大切に思ってくれているお友達も、
未来の義妹としてかわいがってくれている私の彼も……
みんな妹の消えそうな命を前に涙を流したんです。
きっと自殺してしまった子供達の家族の方は、毎日自分のことを責めているでしょう。
その気持ちを思うだけで本当につらい。
時間を巻き戻せるものなら……と心底思う。
私は、命を絶とうとしていた時、一度だけ母に泣きつきました。
当時は1人暮らしをしていて、実家に電話することなんてほとんどなかったけど、
その時はどうしようもなくなって、気がついたら受話器をとっていました。
もちろん「死にたい」なんて言えなかったけど、ただ母の声を聞いてボロボロ泣きました。
母は、きっとつらかった私の気持ちを察してくれたのか、気が済むまで泣かせてくれました。
人前で泣くことは、たとえ家族であっても私の中では「恥ずかしいこと」でした。
弱い自分をさらけ出すようで、絶対したくないことでした。
でも、つらかったら、しんどかったら、いいんです。
みっともない自分をさらけだしたって、逃げたって、泣いたって、わめいたって。
生きよう。
カッコよく生きなくたっていい。
自分で自分の命にピリオドを打つんじゃなくて、
自分の生を全うする時が来るまでは……
どうあったっていい。
ただ、ただ、
生きてください。
私が言えるメッセージはこれだけです。