スポーツと私 お茶の間
野球でいえばホームベースの位置がテレビ。コタツがマウンド。一塁が母。サードが姉。セカンドが私。ショートが父。テレビで日米貿易摩擦や地球温暖化などのごく日常的でコミカルな話題を放映している。けれど、母と姉は孫たちがゲーム機の奪い合いで脇腹を噛んでしまったといった地球規模の極めて深刻な話題を論じている。声高だ。テレビの音が聞こえない。けれどクレームも出せない。私の茶の間はいつでも球場のようだ。おしまい※ピッチャーはキャッチャーができない。一つの仕事もできないのにあれこれ手を出して中途半端にしてしまう人への忠告。投手は捕手の仕事を同時にできない。マウンドから投げた自分のボールを自分で受けることができない。160キロで投げて170キロで走って受け止めることも理論的にはできるかもしれない。しかし、それができるような身体能力があるとすれば現在のベースボールはちがったものになっていると思う。打撃。野球が考案されていたころ、現在のような筋骨隆々の選手が想定されていたのだろうか?ピッチャーもしかり。今後、選手の肉体的進化、人為的な生物的進化があらゆるスポーツに反映されてくると思う。大きな選手がバットを持っているとスリコギや警棒に見えてしまう。