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埋もれ火のアンソロジー

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2011.03.05
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カテゴリ:人・風景・暮らし
国鉄松浦線にあった楠久駅がすべてのスタートの駅だった。

昭和30年代、40年代、楠久駅は多くの通勤客や学生の流れがあった。

まだ少年だったぼくは自転車に乗る練習をしながら、

日が暮れる頃、仕事を終えた人たちや制服を着た学生達が

楠久駅から一気に出てくる様子をあこがれながら見ていた。

楠久駅1


そうそう、時間がさらにさかのぼるのだが

楠久駅に昭和天皇と皇后陛下が来られた時、ぼくはまだ園児だった。

保育園で日の丸の旗を作ったのか、それを持って

楠久駅にいったことをおぼえている。

「てんのうへいか」という名称にであったのもその時がはじめてで

どんな人なんだろうと思いながら、旗を振ったが

その「てんのうへいか」という人のお顔は見えなかった。

楠久駅へ




昭和49年、19才になったぼくは

福岡の大学にいくことが決まり

楠久駅から福岡という街に向かった。

当時片道380円か370円で楠久駅から福岡の姪浜駅まで行けた。

福岡には35円でどこまでも乗れる路面電車が走っていた。


新幹線に初めて乗ったのも昭和49年だったと思う。

その時も楠久駅のプラットホームからスタートした。

行き先は東京だった。

自由席が満席で名古屋まで立ったまま行った。

それが最初の新幹線だったためか新幹線の印象は「きつい」だった。

どんなにスピードが速かろうと、4時間立ちっぱなしというのは、相当に疲れたのである。

以後、新幹線には指定席で乗るようになった。



新幹線といえば

東京駅ー博多駅というのが「常識」のようになっていたが

今では、東北方面にも、長野方面にも走ってるそうな。

その上、博多駅と鹿児島がつながるというではないか!

時代は動いているのに、ぼくの感覚は昭和時代のままである。


夢に見るのは

松浦線を走る蒸気機関車であったり、、

昭和50年代の夜の虫が電車の中を舞う筑肥線だったりする。


新幹線に最後に乗ったのはいつの頃だろう。

3人の息子達がまだ小さいときだったことを覚えている。

食堂車にいってカレーライスをよく食べていた。


すべて

遠い遠い思い出になってしまった・・・。

人生という時間も

新幹線のようにものすごい勢い で流れていった。

鈍行列車のような人生を送りたかったのだが

なかなか思ったようにはならないのが人生という旅のおもしろさかもしれない。






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Last updated  2011.03.05 20:45:08
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