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カテゴリ:徒然日記
千鶴子遺影 2012年3月14日から 2012年10月15日までの 母の七ヶ月間を ここに簡単に記録しておく。 2012年(昭和24年) 3・14 立石医院の医師が 僕と直接話したいという電話を母がしてくる。 立石医院の西田医師によると 腹水がたまっているので 総合病院での検査が必要とのこと。 福岡市東区の和白病院で検査することを伝え紹介状を書いて頂く。 午後、細君と母をむかえにいく。 13:00福岡発。 15;00楠久津着。 18:00福岡着。 表情がなかった母が 高速でもどってくるうちに少し安心したのか 表情がやわらかくなってくる。 夕飯をウエストでうどんを食う。 細めんのつけ麺うどんを美味しいと食べる。 3・15 和白病院へ。 母、CTの検査後、はじめての点滴を受ける。 母が2時間点滴を受けてる間に医師に呼ばれて ・卵巣癌の可能性が高いこと ・腹水が腹部胸部にたまってがん細胞が播種していること ・和白病院には婦人科がないため浜の町病院を紹介する の3点を告げられる。 夜 母はすこぶる元気に夕食をとり お風呂にもはいる。 3・16 浜の町病院へ。 安永医師から 卵巣癌および腹膜癌であることを告げられ 1.化学療法(抗がん剤治療) 2.緩和ケア のどちらかの選択をせまられる。 1の化学療法を選択し、入院が決まる。 3・27 腹水を抜く。 胸部の水も抜き、癒着剤をつめる。 3・28 化学療法の1回目。 3・29 母、80歳の誕生日。 誕生日プレゼントは 昨日の抗がん剤だと言うと笑っていた。 看護士さんたちから さまざまなお祝いをしていただく。 4・2 伊万里市役所にいき、母の住民移動の手続き。 4・3 母、福岡の住民となる。 介護保険の申請をする。 4・4 2回目の化学療法(抗がん剤治療) 4・9 ケアプランセンター東部に連絡。 介護の準備にはいる。 4・18 採血の結果、白血球の数値が低く 化学療法を見送る。 4・20 一旦、退院する。 4・24 再入院。 4.25 2クール目の1回目の科学療法。 5・1 さつき(曾孫)誕生。 5・7 退院。 5・11 通院抗がん剤治療。2-2 5・21 CT検査。 5・25 通院抗がん剤治療。3-1 5・29 篠栗南蔵院参拝。 6・4 通院抗がん剤治療。3-2 6・11 通院抗がん剤治療。3-3 6・22 二度目の南蔵院参拝。 南福岡駅から博多駅まで新幹線にのる。 博多駅を散歩。 ルクルで帽子、夏用の服を購入。 6・25 科学療法・4-1 伊万里ちゃんぽんを食べる。(金の隈) 7・2 科学療法。4-2 ルクルにておむれつを食べる。 7・4 青葉デイサービスとの契約。 7・9 科学療法スキップ。白血球2100のため。 昼、親子丼完食。 夜、釜あげうどん完食。 河原歯科にて入れ歯の調整をしてもらう。 7・10 河原歯科で歯全体のそうじ。 昼、トリアスで定食。 夜、野菜天ぷら定食。 食欲旺盛! 7・23 科学療法・5-1 8・6 科学療法。5-2 昼、伊万里ちゃんぽん 河原歯科で歯のそうじ。 8・15 ことね(曾孫)誕生。 8・20 8月6日の抗がん剤が効いていないことがわかり 入院して、別の抗がん剤に変えることを提案されるが 母、入院と抗がん剤を断る。 9・3 安永医師に 対処療法=緩和ケアについての 簡単な話を受ける。 (結果的にはこの日が安永医師との最期となる) 大久保看護士から 詳しく 対処療法 緩和ケアについての説明を受けて帰る。 9・10 浜の町病院に ぼくひとりで 原土井病院への紹介状をもらいにいく。 9・14 原土井病院へ。 山下医師に挨拶し レントゲンを撮ってもらい 特に異常は認められないと告げられる。 9・21 母 便秘して 食欲がないとのこと。 9・25 原土井病院へ。 レントゲン、CT検査の結果 腹水が大量にたまり がん細胞の転移 体力の減退のため 入院をすすめられる。 入院用の靴を買い トリアスで化粧道具を大量に購入。 9・26 原土井病院東病棟305号室に入院。 水を抜いたせいか 表情が明るくなっていた。 9・27 病室から 文化幼稚園の運動場がみえ 僕の家の前にある緑色の集会所の三角屋根が 見えることをすごく喜んでくれる。 9・28 お月見コンサートに出て、 看護師さんとふたりで写真撮影。 (これが最期の写真になった) 9・30 ゆうた家族見舞ってくれる。 10・1~10・15までは 前回書いたので省略する。 10・15 午後7時頃 死去。 母よ、 このブログ記事が 俺の あなたへの初七日忌である。 心をこめて 供養しているつもりだが いかがなものであろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.10.22 20:38:32
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