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カテゴリ:辛いもの、エスニック
あぁ、今日も… 今年もまた8月15日がやってきた。 首相が替わって今年の靖国周辺は静かなようだが、それでも8月15日といえば全国的に我が国が太平洋戦争に負け無条件降伏した日であることは変わりない。 が、私にとって8月15日の思い出といえば、就職活動である。 今は3年生のうちに内定が出たりもするようだが、私の頃は日経連主導で就職協定が結ばれ、8月15日が会社訪問解禁日とされていた。 特に私が就職活動をした1986年が一番厳格に運用されたようである。 5月の連休頃にはOB訪問に応じてくれる企業も少なくなかったが、ある日を境にぱたりと扉は閉ざされた。 といっても、1社も会ってくれないというのではなかく、実際、7月中に「8月15日に来てくれさえすれば、内定は確実」と言質をくれた企業もあった。 しかし、大手の銀行、商社は一切お断り、各業界のトップクラスも動かないのでは、こちらも息をひそめるしかない。 それでも、志望していた企業が少しだけ早めに、そして迅速に動いてくれたので、8月15日は都内にあるその企業の宿泊施設に拘束されていた私である。 一応、暑い中、紺のリクルートスーツで身を固め、内定をもらっているなどおくびにも出さず、少しばかりの罪の意識と優越感を胸に、何も知らない一般学生と共に就職説明会に参加したのであるが。 友人たちの中には、8月15日にぶっつけ本番で一度も接触していない第一志望の会社の説明会に並んだ者も少なくなかったし、8月後半まで二転三転して就職を決めた者もいた。 他方、企業側も苦しんだようだ。 9月近くなって、それなりに名の通った企業から、「就職決まりましたか?お友達で決まってない人がいたら紹介してくれませんか」という電話が複数あった。 「皆さんどこに行ってしまったんですか」と悲鳴に近い嘆きを私に投げつけた某銀行は、その後数年して破綻した。 前に会ったときは高飛車でいかにも「学生を選別する」という態度だった生保からも、「今からでも考え直しませんか?」と電話が来たので、「人を大切にする企業に思えませんでした」と言って電話を切った(元々志望対象外の企業だったので、強気に出れた面もあるけど)。 この会社もその後破綻した。 学生には、いくら企業研究をしたところで、自分が働く会社としての良し悪しなど本当のところは分からない。 分からないけど、直感的に危なそうな企業には人が寄り付かないようだ。 なんにしろ、学生にとっても企業にとっても暑い夏だった。 日経連はどうしてよりによってクソ暑いお盆に解禁日を設定したのだろう。 昼食は、冷麺、コムタンクッパ。 夕方から娘と日産ウォーターパークに遊びに出かけた。 日産スタジアムの客席の下に作られた、屋内プールである。 大胆な勝負水着で彼氏と来ている若い女の子もチラホラいたが、あまりそちらにばかり視線を向けていると娘に何を言われるか分かったものじゃないので、我慢。 ま、客の大半は家族連れで、まさに芋の子を洗うような状態ではあったのだが。 満腹、満腹 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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