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カテゴリ:昔話
会社帰りに、家にビール以外の酒が切れていたことを思い出し、スーパーの酒コーナーに寄ったら、霧島を見つけた。 私の記憶に間違いがなければ、私が初めて飲んだ本格芋焼酎が霧島だ。 あれは焼酎ブームなんて兆しもなかった平成の始まりの頃だった。 他部門に生じた社外者とのトラブルの解決を委ねられて、宮崎に飛んだ時のことだ。 同行したのはそれまで殆んど付き合いのない人たちで、しかも私が20代半ばなのに対し、その人たちは皆50代、定年間近の人もいた。 旅の始まりからして波乱万丈だった。 皆で一緒に空港に向かい、着いたのは搭乗時間の30分ほど前だ。 その日は移動だけで、夜に現地に入って翌朝から仕事だったものだから、搭乗までの間にビールを飲もうということになったのである。 私も当時から嫌いな方ではない。 オジサンたちも若い私をかわいがってくれた。 で、気付いたら、館内放送で私たちの名前が呼ばれていたのである。 宮崎便はバスで搭乗機まで行くのだが、そのバスが出てしまって、乗り遅れたのが私たちだけだったのだ。 普通の乗用車に載せられて搭乗機まで運ばれ、他の乗客が見守る中、赤ら顔で搭乗したのはなんとも恥ずかしいものだった。 そして、初めて訪れた宮崎の夜だ。 オジサンらは何度も来ているのですっかり馴染みの店ができている。 女将や店員に「今日は若いのを連れてきたから、サービスしてよ」なんて言っていた。 私にも「何でも美味いよ。何を食べる?」と言いながらも、次々と「俺はこれとこれと、いつものあれも」と注文していく。 それだけ頼めば、ちょこちょこ摘めるなぁと思って、とりあえずは1品しか頼まなかったら、「それだけでいいの?」とオジサン1号。 「様子を見ながら食べます」と答えたのだけど、その後意外な展開が待っていたのだ。 なんと、オジサンたちは自分の注文した物を抱え込んで独占するのだ。 フツーこういう飲み会は、好きな物を注文しつつも皆でシェアするものだと疑うことはなかったのに。 それとなく、「それ、美味しそうですね」と言ってみたら、「遠慮せずに、君も注文しなよ」と言われた。 「遠慮せずに、箸を出しなよ」ではないのだ。 皆がそれぞれ好きな物を2皿3皿抱え込んで飲んでいる姿は、私にはなんとも奇妙な光景に映った。 後にも先にもあの人たちと飲んだときだけだ。 それはさておき、そのときに飲んだのが霧島だった。 焼酎といえばいいちこぐらいは飲んだことがあったけど、芋焼酎は霧島が初めてだ。 癖はあるが、結構いけるとそのときは思った。 それで、東京に戻ってきてから霧島を探してみたのだけど、近所の酒屋では見つからず、池袋西武の酒屋でようやく手に入れた覚えがある(当時は西武池袋線沿線に住んでいた)。 ついでに、西武のデパ地下で霧島に合いそうなつまみを物色して、独身寮に帰ったのだった。 そして、わくわくしながら部屋で霧島の封を切ったのだが…。 臭っ。 宮崎で飲んだのは、こんなに臭みのある酒だっただろうか? 酒に限らず、食べ物でも旅先であったり楽しい仲間との飲み会だったりのその場の雰囲気ゆえに美味しく感じることはある。 霧島もその類だったのだろうか。 そんなわけで、それからしばらくは焼酎に手を出さなかったし、焼酎ブームが来てからも「焼酎はちょっと…」と遠慮していた。 好き嫌いの余りない私にとって数少ない例外だったのだ。 それなのに、今や当たり前に焼酎を飲むようになって何年だ過ぎただろう。 焼酎が美味しくなったのか?それとも私の嗜好が変わったのか? 20年ぶりぐらいに飲む霧島はごくフツーの芋焼酎だった。 ここに宮崎の魚があればなぁ。 満腹、満腹 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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