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前から耳障りに思っていた言葉に、「おとうさん、おかあさん」がある。 もちろんその言葉自体が耳障りなのではなく、問題は使い方、いや使う場面か。 テレビの中でインタビューに答える少年少女のみならず、20代、30代の芸能人までが、「うちのおとうさん/おかあさんが…」と話している。 昨日今日だけでも2回聞いたし、今さら珍しいことではなくここ何年かのテレビの中で普通に聞いてきた。 他人が話すのを聞くのはテレビの中だけだが、きっと日常の会話の中でも当たり前に使っているのだろう。 恥ずかしいことだと誰か教えてやれよ。 小学生ぐらいまでならまだしも、中学生以上になったら他人に向かって自分の親を「おとうさん、おかあさん」ではなく「父、母」と呼ぶように躾けられなかったのか。 ま、「クソおやじ、クソばばぁ」と呼ぶよりは、父母を敬っているだけましだが。 そのうち、「当社の社長のAさんがこうおっしゃっています」なんて、他社の人間に平気で話す連中が増えてくるのかもしれない。 成年年齢を30歳に引き上げろという意見を耳にしたことがあるが、さもありなん。 もうひとつ耳障りな言葉は、「真逆」だ。 最初、読み方が分からなかった。 「まさか」? 「まぎゃく」?!なんだそれ。 テレビのバラエティ番組などで耳にする分には流行り言葉のひとつなんだろうと気にも留めなかったが、しばらく前に某大企業の社長のインタビュー記事の中で目にしたときは、降参するしかなかった。 「正反対」の意味なんだろうとは想像がつくが、それなら「正反対」と言えばいい。 暇になると色々考えてしまう。 つまらないことを考えないように、本でも読もうと書店に行って買ってきたのが「原発労働記」と「下流志向」だ。 我ながらネガティブなチョイスだと思う。 滅多に読まない分野の本だから、見聞を広めるということで良しとしよう。 「原発労働記」は、30年以上前に自ら日雇い労働者として原発の作業に従事したジャーナリスト(たぶん)の日記である。 過酷で劣悪な作業環境、安全意識の低さ、放射線管理の杜撰さなどが赤裸々に記録されている。 とはいえ、30年前の話なんだよな。 少なくとも「安全」に対する意識は、30年前とは格段に変化しているだろう。 それと、著者は「いらだち」を原発に向かった動機としてあげているが、「反原発」とは一言も書いていない。だからなのかもしれないが、原発の危険性を科学的に述べている内容も一切ない。 ただただ被爆への恐怖心、体力的なきつさが綴られている。 原発云々を抜きにしても、それなりに大きな企業の管理部門にいる私にとっては、学ぶべきことの多い本であったのは間違いない。 「下流志向」は「目から鱗が落ちる」視点が示されていた。 すなわち、80年代以降の子供の学力低下は、子供たちの怠惰によるものではなく、「学び」からの積極的な逃走だと説く。 鵜呑みにするつもりもないけれど、この視点は実に興味深い。 自分の娘を見て疑問に思っていたことが、この本を読んですっと腑に落ちた。実に情けないことではあるのだが。 結局ますます考えることが増えた気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年09月25日 21時43分31秒
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