|
テーマ:ふと思い出したこと(251)
カテゴリ:旅行けば
といもいさんの記事を読んでいて思い出したんであるが、昔(インドネシアの暴動とかが起きるちょっと前だから1990年代後半)インドネシアに行ったのはラマダンに入る頃。
ラマダンに突入しても、ムスリムの多い国ではあるけど飲食店は割と普通に営業していた。華僑系の人とかクリスチャンは日の高い間でもマクドナルドとか屋台とかで何か食べたりしてたし、罰当たり異教徒である自分たちもあんまりおおっぴらではないにしても昼間にご飯は食べていた。 異教徒がおおっぴらに食事するのってやっぱりまずいかな、と思っていたが、バティックの店の店員さんと話した時には「確かに大変だけど自分たちはムスリムだからラマダンの時は日中の飲食をしないのは当然のこと、ムスリムじゃない人が食事をするのは特にどうとも思わない」と言っていた。案外そんなもんなのかもしれない。 ラマダン中に夜行列車の一等席(寝台じゃなくて座席)で眠りこけてたら、夜明け30分ぐらい前にアザーンが車内に鳴り響いて叩き起こされ、有無を言わさず乗員から食事の入った箱を配られた。 寝ぼけていたので最初は一体何のことかさっぱり分からなかったが、要するにラマダンだから夜明け前に乗客に食事をしてもらう一等席ならではのサービスということなのだろう。異教徒である自分たちには正直遠慮したいサービスではあったけど。 いくらムスリムの義務とはいえ、やはり1日飲み食いしなければそりゃ大変に決まってる。 夕刻、まもなく日没の合図がある頃になると食堂や屋台には大勢の人が集まり、彼らが座る目の前のテーブルには水差しやいろんな料理がたっぷりと並べられている。しかし誰一人それには手をつけず、一様に押し黙ってテーブルの上の食べ物やコップを睨みつけている。結構鬼気迫るものがある。 通りのタクシーやバイクやその他の車も多くが道端に停められ、町が半ば死んだように静かになっている。 そして日没の合図が流れたその瞬間、人々がいっせいに生き返る。 道端に停まったタクシーの運ちゃんはまずは水をラッパ飲み。 食堂の人たちもコップの水を飲み干して皿に手を伸ばす。空気が動き出し、人々の話し声でやかましいほどになる。 食堂は戦場のように忙しくなる。 さて、食堂の人だってムスリムなわけで、彼らも日中飲まず食わずだってのに客の注文で忙しいとますます食べる暇が無くて、ぶっ倒れるんじゃないかと心配なのだが。 確かに客が一段落するまで我慢するとか交代で食べるとか、ちゃんとラマダンの約束事を守っている人も多いだろう。 だが見てしまった。 断食解除時刻の15分ぐらい前、ミーゴレン(やきそば)の屋台のお兄ちゃんが、他の屋台でミーバッソ(肉団子入りスープそば)をこっそり受け取り、建物の隙間で人目を避けて隠れてミーをむさぼり食っていたのを。 そりゃそうだよな、このあと人がわんさか押し寄せて客に出すミーゴレン炒めまくってたら、この兄ちゃん腹へって脱水症状起こして倒れるもんねえ、と同情してしまった。 でもきっと周りの人も日没前に彼がこっそりご飯食べちゃうの知ってても黙ってるんだよね、彼だって大変なのは分かってるから、しょうがねえなあ、ってみんな許してるんだろうねえ。そういうところ、がちがちのイスラム主義じゃないインドネシアのイスラムの東南アジア的ゆるさがいいよなあ、となんだか微笑ましく思ったのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[旅行けば] カテゴリの最新記事
|
|