|
テーマ:放射能とつきあう生活(17)
カテゴリ:カテゴリー未分類
先日の日記(クリック別窓で開きます)の放射能除染問題の続きです。
_______________________ (先日の日記の末尾) この仮置き場は、3年で撤去されるのか。中間処理施設は3年以内にできるのか。それを担保してくれるのは国以外に無いのか。 残念なことに、国以外にそれを保証してくれる何らかの組織は無いのか!?...と模索している自分がいる。 これは、大変悲しいことだ。 その日記(クリック) _______________________ 悲しいことだ.。 しかし、それゆえに自分自身を守るために何をすればいいのかを、今一人ひとりが前向きに真剣に考えなければならないと思う。 そして、小さい単位での地域の責任も問われている。 悲しいことに、行政は決して責任を負うことはしないだろう。 責任回避にきゅうきゅうとしているおもむきを感じる。 では、地域の責任とは何なのか? 地域のひとに向き合い対話することであり、環境の変化を機敏に感知しそれを住民に告知、そして行政の今後の責任と改善を問うべき責任だろう。 再度言う。放射能汚染土を運び入れることには私は賛成する。 そして、絶対的な責任は国にあるのだが、国、県、市町村のリーダーシップを待つことは危険だと思っている。無理だ。彼らは逃げる。 この私の「賛成」の意見と「地域の責任」の考え方は、国と県の思う壺で、地域リーダーたちにとってはかなりの抵抗があることだろう。結果として、上意下達の役所のお先棒を担ぐこととなるから、地域リーダーが批判の矢面に立たされることは明らかだ。 が、それでも自分たちを、地域を守るために地域のリーダーは、決断しなければならない。と私は思う。 今回は特別だと思っている。 真実は、「今、何をすればいいのか?」そして、「実行」。それに尽きる。 我々にできることは、それの監視のための機器武装、理論武装をし、監視続けていくしかないのだ。 そして、一時的にでも居住空間内で、たとえば0.01以上空間線量が上がった場合、地域の責任において強制撤去を求めるなどの取り決めも必要だろう。 予定外の汚染土が搬入されるのも監視しなければならない。 地域のリーダーの英断が今求められている。信頼の上に築かれたリーダーシップの所在が地域内にしかないのだからやむをえないと思う。 一抹の不安はある。結果的に上意下達の役所のお先棒を担ぐことになり、地域の信頼感がそれによって崩れないか?という不安だ。 しかし、我々は放射能とともに生きている。そして、その中で少しでも前進しなければならないのだ。自分自身の前進のために、今決断しなければならない。 「まち」は誰のもの? それを、もう一度考えていかなければならない、と思う。 ______________________________________________ その埋設地に予定されているところの写真が下。車が置かれているところから十数メートル奥から、南北20メートル、東西60メートルにわたって埋め立てる予定らしい。 ___________________________ ところで話は変わるが、明日(12日)から、「ふるさとの秋まつり」が阿武隈急行梁川駅前で開催されます。 皆さんお誘いあわせてご来場ください。 そして、ついでに、当店へもお立ち寄りください。 とりとめの無い、乱文の日記であることの失礼はお許しください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/11/11 07:11:37 PM
コメント(0) | コメントを書く |