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カテゴリ:思うこと
昨日は久しぶりに雪が降った。 関東地方に雪が降るのは結構珍しいことのように思う。私は日本海側出身なので、雪など見慣れたものなのだが、そんな雪でも数年間見ないとそれなりに珍しいものだと感じる。関東に転勤になってからは如実に雪を見る回数が減ってきている。昨日見た雪もなかなか新鮮な気持ちで見れたものだった。 さて、本題へ。 血液型で人となりを決めるというのは日本だけの風習らしい。 血液型は基本的には4つしかない。たったそれだけの要因で何億人といる人を4つにカテゴライズすることは早計なようにも思えるが、実際に書籍にされて出版されている血液型の本を読んでみると、それなりに当たっているようにも思えるから不思議だ。科学的に根拠がないと言われている血液型による性格の決めつけがなくならないのはそういった背景があってのことだろう。 かく言う私もそれなりに血液型による人の性格については満更信じていないわけではない。当たっていない部分も確かにあるが、当たっている部分があるのも事実だからだ。その中でも私が一番興味があるのが、AB型の性格診断だ。これが意外に面白いものだ。今回はそんな話。 私自身がAB型だからだということもあるかもしれないが、他の血液型による性格診断よりも、AB型のそれは非常に的を射ているように感じる。本などを見てみても、当たっていると感じるところが非常に多いし、私の周りにいるAB型の人の人となりを見ていても、自分とよく似ていると感じることが多いからだ。 とは言っても、自分のことはなかなかわからないものだ。貴方はこういう性格ですよと誰かから指摘されたとしても、自分自身がそうかもしれないと感じなければただの妙な意見として片付けられてしまうからだ。殊更この傾向はAB型に多いように感じる。 しかし私は最近気づいてしまった。AB型というものの恐ろしさに。 先日仕事をしていた時だ。その時一緒に仕事をしていた人の中にAB型の男性がいた。彼は以前から職場内でかなり変わった人格だと言われていたのだが、私には同じ血液型だということもあってそこまで納得出来ることもなかった。恐らくは同属擁護の気持ちがあったからだろう。しかしその考えもその日改められることになった。 仕事が始まって数時間、忙しい時間帯も一段落し、私はその人とは別の人と談笑していた。内容はあまり覚えていないが、かなり盛り上がっていたように感じる。するとその問題の先輩が話に入ってきて何やら知識のひけらかしを始めた。 その先輩は知識の量は凄く、色々な分野についての知識を持っていた。しかしそれはあくまで本の中に書いてあるような知識の質であり、自分が実際に経験した上での知識ではないこともまた周知の事実だった。盛り上がっていたのだが興が削がれた私は話を離脱し、少しだけあった仕事に戻ることにした。私と最初に話していた人もその人の相手をしていたのだが、暫くすると仕事に戻ったようだった。 また数時間後、また仕事が一段落したところで、今度は私が例の人以外の3人で話をしていた。確かその時には電車か何かの話をしていたように思う。盛り上がっていたのだが、ふと背後に気配を感じて振り返ってみると、案の定その人がいて話に入りたそうにこちらを見ていた。仕方ないので話を振ると、また話に入ってきて知識のひけらかしを始めた。面倒になったので私はまた仕事に戻ることにした。 まぁこれだけ聞けば普通にあることだと感じるかもしれない。しかしその人の会話への割り込みと知識のひけらかしには以前より辟易としていた。まぁそれがその人の性格なのだろうと割り切ろうと思ったのだが、私はそこであることに気がついた。 その人がAB型だということは、私にも気づかないうちにそうやって人の気分を害していることがあるかもしれない…。 確かに私も新しい知識があれば誰かに話したくなるし、そこから会話が始まれば面白いだろうなと感じている節がある。もしかしたらその関係で誰かに嫌な思いをさせている可能性だって大いにあるわけだ。 そのことに気づいた私は、その日以降思うが侭に話すということを自重するようになった。自分の話をするだけではなく、相手の話を聞いてそれについて意見するという会話形式を重んじるようになったわけだ。 杞憂かもしれないと言えばそれまでだが、自分で自分の短所に気づくには少なからず他者の存在は重要だ。今回の私のように、実例があって気づかされるようなパターンはむしろ幸運だと言えるかもしれない。他者とのコミュニケーションは色々と煩雑なところもあるというのが本音だろうが、それでもそこから学び取ることがあるからこそ面白いのかもしれないと感じた今日この頃だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 24, 2012 06:37:26 PM
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