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カテゴリ:考え事
雪が降った次の日は晴れる可能性が高いように思う。 恐らくそうではないこともあるだろうが、少なくとも私が生きてきた今までの経験から考えるとかなり確率は高いように感じる。次の日の晴れは放射冷却の影響でかなり気温が下がる。晴れていたとしても、下手をすると雪の日よりも寒いこともままある。あくまで朝の気温の話だ。 そうなると非常に外に出るのが億劫になる。ぬくぬくと部屋で過ごそうとインドアな考えが頭を過ぎるわけだ。しかしながら、悲しきかなそういう日に限って仕事だったりする。私はそういう運命の星の下に生まれたのだろうかと感じる程に(笑) さて、本題へ。 仕事に於ける1人前というのは、全ての仕事がソツなくこなせるかどうかよりも…もっと違うところにあるような気がする。 仕事を覚えるのは書いてあることを覚えることだ。それは実践的に何かをやっていくうちに経験則として自分の中に培われるものでもある。人間は学習能力が高いのだから、同じことを何度もやっていればそれなりに覚えていくものだ。勿論そこに積極性による差異は当然ながら発生するが、嫌々やっていたとしても、長い月日やっていればやはり覚えてくる。そうやって様々な仕事をしているうちに、どのような仕事でも出来るようになってくる。仕事をやるだけではなく、やっている仕事の持っている意味まで考え出すとかかなり内容を理解出来ているところまできているのかもしれない。世間ではそのような状態になることを一人前になることだと認識しているようだが、最近私はどうも違うような気がしてきた。 確かに仕事を覚えてどれでもこなすことが出来ることが一人前の条件の1つかもしれない。しかし、それだけでは足りないように感じる。営業職や技術職はそれでも1人前と呼べるかもしれないが、所謂ルーティンワークをこなすような仕事の場合には、それだけでは足りない。私が思うに、自分ならではのやり方で仕事を効率的に回転させることが出来る人を1人前と呼ぶように感じる。 例えば普通にやれば3時間掛かる仕事があったとしよう。普通にやれば3時間なのだから、当然納期は3時間と見積もられる。普通にやっていれば3時間で終わるのだから、3時間以内に片付けてしまえばまぁ文句を言われることもないだろう。この仕事について「3時間で終わらせればいいや」と感じるか「出来るだけ早く終わらせてみせる」と感じるかに1人前とそうでないかが分かれるように思う。確かに3時間なのだから、それまでに終われば何の問題もない。目の前にある仕事はそれだけではないのだ。「仕事なんか探せば幾らでもある」と言うように、当初の仕事が終わったから終わりというわけではない。3時間をいっぱいいっぱい使って仕事をする人は、確かに3時間の仕事は終わるかもしれない。しかし効率的に物事をまわす人は3時間以内で仕事を終わらせて次の仕事に着手することが出来る。焦ってやるだとか、早くやることを指すのではなく、効率的にやる、これが重要だ。どのような局面でも効率性を重視する人は、そのうち仕事になくてはならない人材になることだろう。この「なくてはならない」という点がそのまま1人前の条件であるように最近では思うのだ。 勿論そうは思わないという意見もあるだろうし、私がそれに反論するつもりもない。しかし少なからず職場に必要とされる人材は、先の先を見据えて仕事をしている。結果的に仕事が効率的に片付いていき、仕事が出来るという評価を受けるのは必ず上記の人物であるのは言うまでもないことだ。 仕事を始めてもうそろそろ5年になろうとしているが、私はまだまだその境地には達しない。勿論そうなる為の努力はしている。確かに私の仕事は社会から見れば末端の末端かもしれない。しかし私はそれでもそれなりの矜持を持って仕事をしている。仕事に上も下もないように、私の仕事もまた極めるに値するものだと思っているからだ。現場にいる1人前の人は、確かに他の普通の人とは違う雰囲気を持っている。そのようになってこそ初めて見える仕事の本質があるのではないか、最近ではそう感じ始めている今日この頃だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 25, 2012 08:47:10 PM
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