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テーマ:Jazz(1977)
カテゴリ:音楽
最近は市川修師匠の追悼イベントあり、自分のライブもなんとか無事終わり、それなりに濃厚な日々を過ごしており、書きたいこともたくさんあるのですが。
今日も忙しいながらも、どうしても見ておきたい、と急に思ったライブを、1ステージだけ聴いてきました。 『菅野邦彦コンボ』@京都blue note 菅野邦彦(p) 小林洋一(b) 佐々木豊(ds) 菅野邦彦さんは、正直一度も聴いたことがなくて、日本のエロール・ガーナーと聞き、是非是非聴いておかねばと思ったのです。 私が駆け込んだ時は、既にMCが始まっていて(MCを先にされていたのです)、今思えばその時に既にオーラが出てたのかな。 最初の1音を単音でポンと、しかも小さくてデリケートな音だったのに、心臓がズキっと揺れて、気づけば涙が溢れ出ていました。 演奏して感動することはあるし、目がうるうるすることも時々はあるけど、こんなにもさらさらと涙が止まらなかったのは、生まれて初めてでした。 みんな普通に聴いてるのに、泣いてる事がだれかに見つかったら恥ずかしいし、早く止めなくちゃ!!と思ってるのに、涙が止まってくれないのです。 結局数名の方に不思議そうに見られてたわけですが(笑) 1時間ちょっとの演奏で、途中ちょっと平常心に戻ってきたかなあと思ったら、やっぱり最後の方で、また単音1音に反応して、涙が止まりませんでした。 帰るときもチャリンコ乗りながら、アホみたいにずっと泣いてました。 何が私をそこまで泣かせたのか。 上手い表現ができないのが本当に残念なのですが、感動した、とても美しい音色だったことは言うまでもありません。 エロール・ガーナー的な技術やノリだと思っていたのですが、テンポの曲でもほぼ静寂なムードで。 でも、ああ~ガーナーやなあ。。って感じました。 ガーナーの音も、生で聴いたらきっとこんなふうに感じたやろうなあ~・・って。 今の世の中は、ありとあらゆる音で溢れていて、実は結構雑音とか機会でつくった音を聴いてることが圧倒的に多くて、でも電話の音とか、何かの警報機とか、生活に必要なものも、もちろんあるのだけど。 本当に人間の心に必要な『音』を、私達は日常の中でどれだけ聴いてるだろう。 そして、音楽を通して今日それを心で感じた私は、自分自身がその必要な音を出せているのだろうか。 毎日のように、耳を伏せたくなるような悲しいニュース、大人達の足の引っ張り合いっこ、現実として伝えることはもちろんあるのだからそれはそれで受け止めるけれど。 せっかく情報手段が発達してる世の中なのだから、こういう人の発する『音』を、TVも流してくれたらいいのに。 (もちろん、ライブで見た方がいいのはいいのだけれど) あ~また涙が出てくる、、、今日はこれでおしまいっ あ、最後に。 もしもしもしも、原始時代に、ぽつんとピアノだけがあったら、人はどんな音を出して、どんな演奏をしてただろう・・? そんなこともふと、思いました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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