テーマ:心のままに独り言(8827)
カテゴリ:自分を肯定する
「自分を許しなさい」と言うと、
ほとんどの人が「自分を許す」のではなく、「自己を正当化」してしまう。 そして、罪悪感を心の奥底(無意識の中)に押し込めてしまうのだ。 (本当に自分を許した人なら、一切の言い訳はしない。 自己正当化した人は、自分が正しいことを説明するために、 たくさんの言い訳を並べ立てる。) 無意識の中に罪悪感のある人は、決して幸せにはなれない。 本当の幸せを目の前にすると、怖くなって逃げて出してしまう。 自分には、決して許されない幸せだと感じてしまうからだ。 そして、わざわざ辛い人生を選択して、罪滅ぼしの辻褄を合わせをする。 自分を許すことは本当に難しい。 世の中はそんなふうに自分を許せない人ばかりだ。 でも、それではこの世を幸せな社会に変えることなど不可能だ。 どんなに難しくても、自分を許さなければならない。 こう言うと、こんなふうに質問される。 「自分を許す」とはエゴイストになることではないのですか? いいえ。 自分を許さないことの方が、ずっと傲慢な態度です。 そもそも、あなたに自分を裁く資格があるのでしょうか? あなたは、すべてのことを知っているのですか? あなたが知っていることは、あらゆる物事のほんの一部、 ごくごく表面的なことに過ぎません。 あなたの価値判断、常識などのすべては、その浅薄な知識に基づいています。 どんなに博識な人でも同じ事です。 すべてを知っている人など、この世に存在しません。 そのような人間に、物事の善悪など判断できるでしょうか? 自分を許すことは、究極的に謙虚になることです。 「自分は何も知らないのだ」ということをはっきりと認めることです。 そうすれば、起きたことすべての必然的な意味が、自ずと明らかになります。 そこに善悪の判断が介入する余地はありません。 すべては、必要だから起きたのです。 自分を許すことは、激しい痛みを伴います。 人にはみな、「善でありたい」という欲求があります。 自分を許すためには、その欲求を放棄しなければなりません。 それは本当に「捨てがたい」ものです。 けれども、それを捨てなければ、自分の善悪の判断を手放すことはできないのです。 人がエデンの園を追い出されたのは、「善悪を知る木の実」を食べたからだ、という記述は実に意味深長です。 エデンの園に戻るためには、「善悪の判断」を手放さなければなりません。 けれども、自分がどんなに無知であるかを悟った人、人間が膨大な知識を獲得したように見えて、実は本当にわかっていることなど何もない、ということに気づいた人なら、「善悪の判断」を手放す勇気が生まれるに違いない。 本当に真実を知ろうとした人なら、結局はそこにたどり着くしかないのだから。 (本日のブログより) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.15 14:24:19
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