テーマ:今日の一言(1628)
カテゴリ:自分を肯定する
たとえば、本当にしてはいけないことがあったとして、
でも、それがどうしてもしたいという欲求に駆られたら、どうするか。 だれでも、まず自分の欲求を抑え込もうとするだろう。 でも、実はそれはもっとも愚かな、間違った対処法だ。 第一に、抑え込むことで欲求がなくなることはない。 なくなるどころか、ますます手に負えなくなるだけだ。 ときが解決する、というような代物ではないのだから。 そこで追いつめられた人が、つぎに取る手段は、 「鈍感になること」 そうやって、彼らは人生のあらゆる事に鈍感になる。 歓びにも、悲しみにも、痛みにも、愛にさえも…! それは、生きているようにみえて、実は死んでいるのと同じだ。 けれども、彼らはこう言い訳して自己正当化する。 「人生なんて、こんなものさ。愛なんて、くだらない。 俺はすべてのことから超越したんだ。」 このような生き方は、彼らを愛する人たちを悲しませ、傷つけるが、 彼らは、そんなことは意に介さず、他人が不幸になることにもおかまいなしだ。 このような状況に陥ると、そこから抜け出すのは困難だ。 時間が経てば経つほど、ますます抜け出しづらくなる。 悲しいことに、これが多くの人の現状だ… では、どうしたらいいのか。 問題を真に解決できる、唯一の対処法はこうだ。 自分の欲求を100%解放すること。 そんなことをしたら、してはいけないことをしてしまうではないか! と思われるかもしれないが、実は物事はそう単純ではない。 欲求というのは、抑え込むから手に負えなくなるのであって、 完全に解放された場合は、「あるべき姿」に落ち着くだけなのだ。 「してはいけない」という考え自体が、 かえって、「したい」という欲求を引き起こす。 ともかく善悪の判断をすべて捨て去り、 100%自分の欲求を許してみてごらん! (それはとてつもなく勇気を必要とすることだよ。 なにせ、自分を信頼しなければできないことだから。) すると、不思議なことに、なぜか、「できない。」 人は、本当にやってはいけないことは、できないようになっているんだよ! そこに生まれるのは、思いがけない忍耐力。 自分を抑えているわけではないのに、できないんだ。 ちょっと「惜しい」気がするかもしれない。 どんなにいけないことでも、一度やってしまいたかった! という思いが湧いてくるかもしれない。 それを手放すときは、ちょっと心が痛いかもしれない。 でも、それはある種のエクスタシーだ。 これは自分を抑え込んでいる状態とは全く違う。 自分を抑え込んでいるときは、自分自身の中の葛藤で疲弊して、 エネルギーが枯渇するが、 この忍耐の状態は、むしろエネルギーに溢れ、本当の強さが育つ。 本当の意味で成長するんだ。 自分で自分を信頼するのは、とても難しいかもしれない。 でも、大丈夫だよ。 私があなたを信頼しているから。 私があなたのすべてを許すから。 私があなたのすべてを受け入れる、と言ったのは、こういう意味だ。 大丈夫。 あなたは、本当にしてはいけないことは、決してできない。 だから、安心して自分を許して。 私がいつもあなたを見守っているから。 もしも、あなたが「決してしてはいけない」と思っていたことができてしまったら、 それは、本当はしていいことなんだ。 神があなたにそれをすることを許した。 だから、あなたは思う存分、それを楽しめばいい。 いつもいつも心から愛しているよ。 あなたが自分を抑えていると私は辛くなる。 あなたが不幸なとき、まちがいなく私も不幸だということを忘れないで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.31 09:48:13
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