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なぜセックスをするのか?
私たちは、動物の持っていない知性を持ちながらも その一方で衝動的なことを行ったり、 理屈に合わない行動をしてしまったり・・一体何のために駆り立てられるのか・・。 フロイトが「エス」という概念を出してる 人の心の中に「エス」という暴れ馬がいて その馬を自我という「騎手」がコントロールしてると考えた。 フロイトは この騎手たる自我がしっかりしていなければならないと言ったのだが、 確かに騎手だけいても 馬がいなければレースにはならない。 馬=エス が人間を駆り立てていると。 私たちが恋をし、結婚するのも、性欲のなせるわざということになりそうですが。 無意識の中の性欲ゆえにセックスに駆り立てられているのだろうか? 違う、、、、 快楽だけが動機ならば、マスターベーションや風俗でも十分に満たされるはず。 人は相手と関係性を持ちたいから セックスをする。 好きな相手とセックスしたときに満ち足りた気持ちになるのは 性欲が満たされたせいではないでしょう。 その相手とセックスを通じて深い人間関係を持てたという満足感が必ずにあるはず。 人の基本的な本能欲動は、快楽を満たそうという動物的なものではなく、 人間関係を持ちたいという「対象希求」。 人は一人では生きてはいけなく、 つねに誰かとつながりを持ちたいという動物。 ________★ 人には「満足を求めるニーズ」と「安心感を求めるニーズ」という二つの基本的な動機があると。 満足・・の方には 食欲を満たすなどがあるけれど、 「コンタクトを求めるニーズ」もあるとのこと。 また、不安を回避し、安心感を満たすニーズを満足させることは、 これは他人に対してなのです。 つまり、 セックスをするのは、 情的なかかわりを持ち、安心感を与えてもらうためなのだ、ということ!! えーーー?! そんな風に考えると何だかツジツマがすごぉく合ってきませんか? 人が他人を愛するのは 相手のためだけではなく、それによって自分自身の自己愛を満足させたいということ。 セックスもおんなじ。 性欲を満たすだけなら、 相手が誰でもいいはず。 たとえば、 男性が「いい女と寝たい」と思うのは それにより、 「俺はこんな素敵な女性に愛された」という満足感を得たいと思ったり 「いい女と寝ることで他人から羨望されたい」と思ってるということが。 結局は自己愛なのね~~~。 さて、 欲望には優先順位があるということです。 マズローという学者はこれをピラミッド型に例えた。 「下の欲求が満たされたときに、それより上の欲求が生じてくる」 ピラミッドの一番したの階級層には生理的欲求 食欲・排泄欲・性欲など この次元の低い欲求が満たされなければ 「人を愛したい」とか 「人に褒められたい」とかの次元の高い欲求は出てこない 下から二番目は 「安全でいたい」という欲求 空腹で死にそうなときは危険を冒しても食料を探しに行くではず。 食欲が満たされれば、今度は安全を求める余裕も出てくる。 安全が確保されたら、次に求めるのが 「愛」や 「集団所属」への欲求なのです。 映画やドラマでは危険を冒してでも愛や友情を優先するテーマがあるけれど これは現実には滅多にないから美しいわけ。 ようするに生理的欲求が満たされ、安全が確保されたら 愛や集団所属の欲求にいき そして次に「自尊心を満たしたい」 「尊重されたい」と願うようになるのです。 そして、ほめられたい、尊敬されたい、偉くなりたいと最終階層の自己実現の欲求を満たそうとするわけ。 最終層とその前の層は似ているけど少し違う。 最終層では、他人からの評価が関係する欲求だけど、 その手前のは 自己満足で終わる欲求なのね。 自己満足=自己愛がなくっちゃ自慢も伴わないってことかぁ~~?!! いやいや・・自慢ではなく 人に褒められるようにする行動・活躍ね。 だから、これらを全て満たしちゃうセックスって欲望の永遠のテーマなのかもしれない・・ でもさぁ。 結局って、 性欲は一番下の階級層である生理的欲求なのよねぇ。 動物であって感情・知性の持つ人間・・ 違う欲求なのに一番下も一番上もやってることは、なんだ、おんなじじゃん! 私たちは本能だけで生きてるのではなく やっぱし、対象関係を求める動物 つねに誰かとつながりを持ちたいということ。 セックスはその単なる手段なんだとも考えれる。 ん~~~、 ということは わざわざ、低階級なセックスを持ってしてまでなくても それ以外で、満足も得られる手段もあるのではないかなぁ。 これは、そのエスの手綱を握る騎手のなせる業かな・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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