カテゴリ:心理
憧れる対象にはいつまででもそんな存在を維持して欲しいと思ってしまう。
私は基本的に嫌いな人が本当はいない。 これは学生時代の経験などもあるのだろうが 元々の性質もあるようで そういうところ あまり好きな人でない人も 本当はもっと素敵に活躍してほしいと日々思っていたりする しかし、勝手な心で ダメな行動をする人はもっと落ちていくもんだ、とも思う あえて私が何するまでもなく 悪意な行動をすれば それなりのツケがその人に降りかかる しかし、又切り替えて良心の元に行動を起こせば 又良い恵みがその人に与えられると信じてるし またそうなることを願ってもいる。 いつでも憧れる対象は出現となり そんな中、尊敬するべき存在は現れる その対象はやはり私にとってヒーローでもあり ヒーローは自分の鏡になり 常にその人の活躍を見ることで満たされ まるで自分がしているかのような優越感にも浸る これは野球のペナントレースで 阪神ファンや巨人ファンが熱狂する気持ちと同じ 自分は何もしていないのに 応援するヒーローが活躍し続けることで欲求が満たされる しかし、ヒーロー自身も人間である 人間らしい泥くさい言動することだってあるのだ。 その鏡である対象が 全く予期しない言動をしたとき それが全然ダメな発言をしたとき 何だかサミシイ・・ おいおい・・ヒーローがそんな弱気なことを言うなよぉ・・・。 それじゃぁ、こちらの慰みにもならぬ こっちが逆に励ましてどうなるんだよぉ・・・ そんな経験があった。 映像での世界だけならこんな裏切りはめったにはないが 身近な職場上や近しい人間関係での鏡の対象なら こんなことは在り得る まさか 自分が鏡の存在であるなんて想像もつかないのだろうが やっぱし、たまには弱音も吐きたいときもあるのが人間らしいというものだ。 しかし ヒーローになる立場の人たちはそれなりの責任というものを 意識せねばならぬとも思う。 何人もの人に愚痴や弱音を吐いてしまえば すっかりと色褪せてしまうではないか 本当に身近で助けてくれる人を選別して 真の弱い部分を見せ そしてそこでまた調整を保つ 常にヒーローは毅然とした姿を見せ スタイルを維持していくのがホンモノだとも。 人を指導したり 人に勇気を与える仕事をしてる人は そういう意味での責任が伴うと思う プライベートとはしっかりと決別して 本気で闘うための環境すら その人の責任でもある 昔のアイドルったら 作られた人間像が多かった 御三家やトリオとか・・ 天地真理や田原のとしちゃんの頃までは プライベートの発言を決して許されなかった 檻の中に入れられ 年齢詐称から始まり 男らしい性格でもないのにそんなフリさせられたり 女性らしくもないのに、そんな衣装を着せられたり・・ そういう作られたイメージがあったからこそ ビッグアイドルも生まれさせたとも言えよう 韓国アイドルが今日本を騒がせるのには そんなありもしない偶像で作り上げられたものが 彼らにはあるからかもしれない。 しかし、プロを意識するのなら 偽りの強さも信念も必要なのかもしれない お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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